母は自分が死んだあと、どうして欲しいかなにも言ってなかった。

 

自宅で亡くなったので、自宅で家族葬をやることにした。

葬儀屋に頼んで祭壇をつくってもらい、母の実家と同じ日蓮宗でお経をあげてもらった。

出棺前、死んだ母を改めて見て、このとき初めて涙が止まらなくなってしまった。

 

遺影を持ち、霊柩車の助手席に乗り、クルマで15分くらいの火葬場まで行った。

火葬場の係員が、お別れの前になにか話したいことはあるかと訊いてきた。

すると、父が「母も好きだった宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の詩」をそらで言い始めた。

ちょっと驚いた。

それから待つこと数十分で骨になって出てきた。

なんか呆気なかった。

 

火葬場から自宅に帰るときは棺が骨壷に変わっていた。

この頃になると、まったくといって食べない。

「氷が欲しい」と言い、冷蔵庫から持って行くと美味しそうに食べていた。

 

1月24日が母の79歳の誕生日だったのだが、父と弟と僕の3人が居間でバースデーケーキを食べるのを、隣の部屋のベッドの中から見ていた。

弟がケーキに飾ってあったチョコレートでできた誕生日プレートを母に渡すと、一口だけ食べた。

 

1月30日未明過ぎ、2階に寝ていた僕を起こしに、父がきた。

1階の母が寝ているベットまで行くと、訪問診察の先生がいて、「下顎呼吸しているのでそろそろです」と言って帰って行った。

 

二人とも無言で母を見ていた。

なんて声をかけたら良いか分からなかった。

 

そして、6時過ぎ、静かに逝った。

涙も出なかった。

抗がん剤の副作用で舌がおかしくなり、ほとんど食べられなくなった。

高カロリーのゼリーも買ってみたが、「不味い」と言ってほとんど食べない。

痩せる一方だった。

 

また、丁度1年ほど前に抗がん剤の副作用で抜けた髪が生え揃ってきたので、訪問美容室にお願いして自宅で髪を切ってもらうことにした。

髪を切るには切ったが、あまり気に入らなかったようで、間をおかず2回目を頼んだ。

ただ、髪を切り終わると「座っているだけで疲れた」と言って、すぐにベッドに横になっていた。