大八木(以下 大): よろしくお願いします。
大八木 弘明(おおやぎ ひろあき)
1958年7月30日生まれ、福島県出身。
会津工業高校卒業後、小森印刷(現・小森コーポレーション)に就職、実業団駅伝などで活躍後退社。
念願の箱根駅伝に出場し、1年時に5区で、3年時に2区で区間賞。
大学卒業後は、実業団のヤクルトを経て、95年4月から駒沢大学陸上競技部コーチに。
2002年4月に助監督、2004年4月に監督に就任。
箱根駅伝の総合優勝6回を含め、大学駅伝で21回の優勝を飾るなど、常勝チームを作り上げている。
〈駒澤大学とかすみがうらマラソン〉
大八木監督が就任されて今年で22年目(コーチ含む)
指導21年で箱根駅伝総合優勝6回、全日本大学駅伝優勝12回、出雲駅伝優勝3回。
学生駅伝界を牽引し続けてきた駒澤大学。
駒澤大学の選手も、かすみがうらマラソン10マイルの部に毎年出場し、好成績を収めている。
会津工業高校卒業後、小森印刷(現・小森コーポレーション)に就職、実業団駅伝などで活躍後退社。
念願の箱根駅伝に出場し、1年時に5区で、3年時に2区で区間賞。
大学卒業後は、実業団のヤクルトを経て、95年4月から駒沢大学陸上競技部コーチに。
2002年4月に助監督、2004年4月に監督に就任。
箱根駅伝の総合優勝6回を含め、大学駅伝で21回の優勝を飾るなど、常勝チームを作り上げている。
〈駒澤大学とかすみがうらマラソン〉
大八木監督が就任されて今年で22年目(コーチ含む)
指導21年で箱根駅伝総合優勝6回、全日本大学駅伝優勝12回、出雲駅伝優勝3回。
学生駅伝界を牽引し続けてきた駒澤大学。
駒澤大学の選手も、かすみがうらマラソン10マイルの部に毎年出場し、好成績を収めている。
M: かすみがうらマラソンに毎年出場されていますが、選手を選ぶ基準について伺いたいと思います。
大: 最初は、5月に関東インカレがあってハーフマラソンに出場する選手の選考や刺激も含めて、ロードが得意なタイプの選手を走らせることが多かった。西田隆維、高橋正仁、堺晃一といったロード派を出場させていたけど、最近は経験を積ませる場として若手が走ることが多いかな。
M: 西田さんもかすみがうらでの優勝がロードレース初優勝だったそうで(※前回コラム参照)、そこから自信をつけていったとお話されていました。
大: 西田もかすみがうら優勝してから箱根で区間賞とったり、そのあと別大で優勝したり、やっぱりきっかけだろうな。
M: 西田さんが現役学生の頃から、毎年かすみがうらに出場されているんですよね。もう何年くらいになりますか?
大: 就任2年目からだからもう20年になるかな。
M: 20年!大会が今年26回を迎えますから初期の頃からずっと出場されているんですね!
陸上で生きると決意
M: 就任されてから22年目ということで、とても密度の濃いお時間だったと思いますが、振り返ってみてどうお感じでしょうか?
大: 長いようで、あっという間だったな。箱根を勝たせる。日の丸をつける選手を育てる。この2つを考えて指導していたらあっという間に1年が過ぎていたなぁ。
M: 就任当初の思い出はございますか?
大: 就任1年目の箱根駅伝予選会では、駒澤は落ちるだろうと言われていたけど、選手たちに気持ち入れさせて拓大と(箱根駅伝出場の)最後の切符をかけて、9人目までは拓大の方が上だったけど、拓大の10人目が良くなくてギリギリ通過。それがなければ連続出場も途絶えていたからなぁ。(今年で箱根駅伝50年連続出場)
落ちる落ちると言われていて、本当は予選落ちしてから来たかったけど。オレで落ちたら周りから文句を言われるから(笑)
M: そんなプレッシャーのかかる状況の中、コーチを引き受けるきっかけとなった決め手はございますか?
大: 高岡さん(※)に、大丈夫だから。落ちても大八木のせいって言うなって周りに言うからって(笑)。大学のときにお世話になっているし、恩返ししなきゃと思ったな。
※高岡公さん; 駒澤大学陸上競技部のコーチ、監督、総監督を経て現在は顧問を務める。
大八木監督が駒澤大学に社会人入学する際に尽力。
M: 大八木監督の学生時代といえば、仕事しながら学校に通い陸上のトレーニングもして三足のワラジ生活ですよね!どんな学生時代でしたか?
大: 8時30分から仕事で、昼休みに8km走ってからまた午後の仕事をして、勤労学生だったから16時30分で仕事を終えて夕方トレーニングをして、そのあと夜間の学生として学校へ行って21時半頃まで授業を受けて、食事して帰って洗濯してってしていると0時まわったり、分刻みの生活をしていたなぁ。
その頃から時間をうまく使う。工夫する勉強になっていたな。大事なのは陸上で、陸上の時間をちゃんと決めて動く。それだけはぶれない。これで生きていくんだという覚悟があったし、ぶれないことが大事。今もどんなにスケジュールが忙しくても現場をしっかり見る。そこだけはぶれないようにしているな。
M: 陸上で生きていこうと決意されたのは、いつ頃でしょうか?
大: 中学3年で全国大会で5番に入って、決意したな。勉強ではかなわないけど、陸上なら勝負できるって。自分も好きだし、人に喜んでもらったり人のためにやれること、恩返しできるのはこれだ!って。
M: 中学で決意されてもう40年以上、陸上で生きてこられているんですね!ちなみに陸上の指導が好きだなぁ、向いているなぁと感じるようになったのはいつ頃でしょうか?
大: 大学で現役のとき。スケジュールをたてたり、プレイングコーチをしていたときに、(社会人入学のため)年下だけど1つ学年上の先輩も賛同してくれて、大八木さんにボクらもついていきますよ!と言ってくれたりしていた。本気な行動を見せれば本気さが伝わる。信念を持って本気でやっていれば返ってくるなぁと。それが原点だな。
M: <原点>といえば、毎年チームのテーマに<原点>という言葉が入っていますね。毎年テーマを掲げるようになった経緯を教えていただけますか?
大: 毎年、何か目標がないといけないし、気持ちが入っていかないといけない。昨年でいうと<原点と結束>。前には選手に夢を持ってほしいと感じたときは<原点と夢>だったり。原点は常に入れていて、何があっても原点。何があってもゼロからスタート。優勝してもすぐに切り替える。勝って酔っていても仕方ないし、負けても引きずらない。切り替えが早いのも長くやっている秘訣だな。勝った喜びよりもすぐ次のことを考えるのが大事。
M: たしかに私の学生時代にも、駅伝で優勝しても30分後には別の用事で叱られていた記憶があります(笑)
ご指導されて20年以上になりますが、20年前と比べると学生との接し方やご指導方法は変わられましたか?
大: 今の学生はフォローが必要。厳しい言葉をかけると、“けしょーん”となってしまうから(笑)一発KO(笑)
叱り方を変えたり、うまくフォローしながらやらないと。昔の学生はどんなに厳しくても喰らいついてきたんだけど。
M: ぼくも学生時代は叱られない日はなかったくらい毎日叱られました(笑)
ですが、大八木監督との信頼関係があるからこそ、厳しい言葉をかけられても監督を信じたり、選手も反応してもうひと頑張りできるんだと思います。
大: いつもグラウンドで声をかけてるから選手も反応するよな(笑)やっぱり常日頃、現場にいてしっかり指導することが大切。本気さが伝わる。
M: 声かけといえば、箱根駅伝で選手のすぐ後ろを走る運営管理車。
毎年駅伝ファンの方も大八木監督の檄を楽しみにされている方も多くいらっしゃいます(笑)
どんなことを意識して選手に声をかけられていますか?
大: 選手が走りやすいように。気持ちがのりやすいように。
はじめは優しく、リラックスして、いいね、いいね~って(笑)
ラストは競馬のムチを入れるような声かけを(笑)
男として恥ずかしくないのかー!!とか(笑)
M: ときには放送コードギリギリ(笑)まさに本気のそして愛情のこもった檄が選手の心に響き、粘りや最後の追い込みにつながるんですね!
ちなみに運営管理車からの大八木監督の檄は他大学の選手にも聞こえているそうですね。
箱根駅伝で特に箱根山中で駒大の姿が見えなくても大八木監督の声が聞こえてきたら駒大がせまってきているというのも有名な話みたいですね(笑)
大: そうそう、よく言われる(笑)
大切なこと
M: お仕事をしながら時間を見つけて走っている市民ランナーさんがたくさんいらっしゃいますね。
大: 走る時間をどこに持ってくるか。朝なのか昼休みなのか通勤でランニングをしたり、いかに走れる時間を確保するか。ただ、市民ランナーの方は無理をしないでというのが大前提。体を壊したら元も子もないので。楽しみながら余裕度を持ちながら、それでもやっているうちに上達してタイムも伸びていく。
M: 余裕度を持ちながらが大切ですね!
大: 現役の学生たちだって無理をさせないで余力を持たせているから。将来これくらいまでいくだろうという選手に伸びしろを残して卒業させて、実業団に入ってからも伸びるように考えながらやっているな。大学で終わらない、かけっこで生活していくから選手の将来を考えて指導をしているなぁ。
M: これくらいまでいくっていう監督の予測ってピタリと当たりますよね。トラック、ロードレース、駅伝でも設定タイムをピタリと当てられます。ボクが大学4年生のとき、全日本大学駅伝で優勝したときも100km以上の駅伝で設定タイムと5秒しか変わらなかったですし、2月の丸亀ハーフマラソンで工藤有生選手が1時01分25秒で走りましたが、大八木監督は正月の箱根駅伝が終わった時点で、工藤は丸亀で1時間01分20秒くらいで走るとおっしゃいっていました。
大: 日頃から現場が好きで1人1人の力を見抜いたり、これくらいで走るかなーとはじきだすのは感性が大事だな。
M: 最近では、監督の教え子が指導者となっていますね!
大: 現役と指導者は違うので、キチッと指導してもらいたいね。現役中は自分のことを考えていればよかったけど、指導となると人のため。人を活かすことが大切。中途半端ではなく人を育てること。丁寧に1人1人をキチッと活かすことでチームが結束する。そして、いいものをいい、悪いものは悪いとはっきり言うこと。本気になって指導するという心がまえが必要だろうな。
M: 監督にとって指導とは?
大: やる気にさせられるかどうかが指導者。指導は感性が大事で読むチカラ、この選手はこういうトレーニングをしたら2~3週間後こうなる、1~2年後こうなるという逆算するチカラが読めるかどうか。あとは指導者も我慢が大事。叱ってもどこかで引き出してあげたり、今はだめでも何とかなるとチャンスをあげたり。伸ばせるチカラだな。勝てない指導者は何かが足りないんだと思う。
M: 現在は教え子1期生でもあります藤田敦史さんがコーチとして就任されましたね。
大: 藤田が来て、今は体幹トレーニングも含めて新しいことも入れながらやっているかな。でもやっぱり一番大事なのはしっかり現場を見る。この軸だけはぶれないようにしているな。
さらなる挑戦
M: 今後の目標や挑戦してみたい夢を教えてください。
大: まだやれるうちは指導者としてやっていきたい。あとはオリンピックにいく選手を育てたいのが夢だな。OBでも現役学生でも。
世界陸上は4人(藤田敦史さん、西田隆維さん、宇賀地強選手、村山謙太選手)出場しているし、ユニバーシアードにも何度もウチの選手は出場しているけど、オリンピック選手がなかなか。4年に1度のチャンスがなかなかめぐってこない(笑)
M: 2020年東京五輪もありますし、ぼくも後輩たちの活躍に期待したいです!
最後にかすみがうらマラソンに出場する選手や地元の方へのメッセージをお願いします。
大: ランナーの方はとにかくケガのないように走ってください。地元の方のおもてなし、私設エイドまで準備していただいてありがたいなぁと。これからも無理のない形で、できる範囲でやっていただけたらなぁと思います。駒澤大学からも10マイルに今年も学生が出場します。
M: ありがとうございます。本日は駒澤大学陸上競技部・大八木弘明監督にお話を伺いました。
監督、お忙しい中ありがとうございました!
≪インタビュー後記≫
今回は恩師であり今なお指導者としてご活躍中の駒澤大学陸上競技部・大八木弘明監督にお話を伺うことができました。恩師を目の前にすると卒業して9年たった今でも背中に緊張感が走り、ほとばしる汗が止まらないM高史です。
自分の学生時代、そして今でもお変わりないのが「陸上競技への情熱」です。中学で「陸上で生きていく」決意され、様々なハードルを越えながら常に「本気」で「挑戦」し続けている姿勢。
本気、信念、感性、行動、情熱・・・
学生時代にもインタビュー中にも、何度も出てきた言葉が魂を揺さぶり、熱い気持ちが伝わってきます。
また「どうやって人に喜んでもらうか」「応援してくださるファンの方々が感動するような走りを」ということを常々おっしゃっていました。自分が得意なこと、好きなことを通じて、世のため人のため、皆さんに喜んでいただくために本気になって真剣に取り組む。
学生時代、毎日のように叱られながらも、ごく稀に褒めていただく機会があると、監督を信頼してまたついていきたいと思える人間味あふれる恩師です。
大学4年の最後の箱根駅伝、主務をしていたこともあり、選手のすぐ後ろにつく車(運営管理車)に監督と乗車させていただきました。アンカー10区は同じ4年生だった治郎丸健一(現:桜美林大学陸上競技部コーチ)。4年生にして初出場。最初で最後の箱根です。運営管理車から5km、10kmなどのポイント毎に監督が指示を送ることができます。
(大八木監督の指示は情熱的でよく響くことから箱根駅伝名物の1つとなりつつありますね)
監督の横で「治郎丸、いけー!ラストだー!」と車内で自分もついつい熱くなって叫んでいたところ、10区の後半「お前が言っていいぞ」と、マイクを渡してくださいました。
叱られてばかりの学生生活、普段は厳しい大八木監督が見せてくれた人情味溢れるとびっきりの優しさでした。駒澤で大八木監督の下でマネージャーをさせていただければ、今の仕事はしてなかったと思います。恩師から常々言われていた言葉は今も胸に刻み続けています。
人から喜ばれるよう 人から必要とされるような
人を感動させるような 人間になりなさい
自分の好きなこと 得意なことを通じて、どう社会貢献していくか。
そんな大八木イズム、監督の哲学を心に刻み、日々精進したいです。