その日のリヨンは雨だったけれど、TGVが遅れているという情報はなかった。
いつものホテルで待っていたがユノは来ない。
毎回僕が昼の11時過ぎにリヨンに着くと、列車の都合で朝9時頃には到着しているユノが首を長くして待っていて、「待ちくたびれたよ」と言いながら僕を抱きしめてくれるのが常だった。
急用が入って朝一の電車に乗り遅れたんだろうか。
電話を掛けてもユノは出なかった。
ここしばらくお互いの休みがどうしても合わなくて、最後に会ったのは2月第二週の週末。
それから4週間僕らは会えていなかった。
2月のその日は二人の誕生日のちょうど間の日だったということもあり、互いの誕生日をこのホテルの部屋で祝った。
そろそろ30に手の届く男二人のやることじゃないんだろうけど、お互い花束を持ってきていて、僕はユノにフリージア、ユノは僕にチューリップの花束を贈った。
あの時のユノの嬉しそうな、それでいて恥ずかしそうな笑顔を思い出すと待ちきれない気分になり、少しでも早く会えるよう駅に向かった。
パリからのTGVは数時間置きに来る。
一本逃したとしても次の12時過ぎの列車では来るはずだった。
「ごめんねチャンミン、遅れちゃった」
きっとユノはそう言って慌てて僕の方に走り寄ってくるだろう。
プラットホームの見える改札で僕は待った。
だがその日、20時28分の最終列車でもユノは現れなかった。
僕シム・チャンミンとユノの出会いは、僕が10歳で母国韓国の国立芸術アカデミーに入学した時だった。アカデミーは芸術面に秀でた10歳から18歳の子供たちにエリート教育を施す全寮制の国立一貫校だ。
僕は祖父、父と続く声楽一家の長男として生まれ、幼少期から一通りの専門教育を受け、既定路線のようにこのアカデミーに放り込まれた。
だが、小さい頃から集団行動が苦手で、一人遊びしかしない内向的な子供だった僕は、当然全寮制など嫌だと、入学式直前まで駄々をこね、果てにはチャチな家出騒動まで起こしながらの入学だった。
授業はともかく、プライバシーがないに等しい寮生活に僕は初日から打ちのめされた。
寮では10歳から18歳の少年達が縦割りでグループを構成し、部屋割りはもちろん、食事や入浴といったあらゆる行動をグループで共に過ごさねばならなかった。
ほかの縦割りグループの新入生がちやほや可愛がられ甘えているのを尻目に、とにかく人と関わりたくなかった僕が発する言葉は、はい、いいえぐらいのもので、グループの集団からちょっと外れて、いるのかいないのか人が気にしない程度の距離感をどうにか保とうとしていた。
寮生活が始まって3日目、どうなりを潜めても僕をほっておかない上級生が一人いることに気づいた。
チョン・ユンホ。
2級上の12歳だった。
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