いっぱい | 仙人の道も一歩から

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心密かに仙人を目指すサラリーマンの、日々の記録でござる

子どもの頃、こんな他愛もない遊びが流行った。

 

「”いっぱい”の”い”を”お”に変えて言ってみて」

「・・・」

 

多感でシャイな少年はここで沈黙する。

答えはもちろん、”おっぱお”だ。なんの意味もない言葉。

でもこの一瞬、彼の頭の中には、こう変換されていたに違いない。”おっぱい”と。

 

先日観た海外のドキュメント番組で取り上げていたのは、まさにこの”おっぱい”だ。

決してエロではない。

 

乳房が極度に大きい女性が、それを外科手術で切除してしまうまでの、

心の葛藤を描いた番組だった。

 

その女性はアメリカ人の女優で、子育てが終わり50代になろうとしている年齢。

真面目に芝居のオーディションにチャレンジするも、

誰もが目を引く大きな胸のために、”そういう”目で見られ続けてきて、

結局彼女の望む役にはありつけなかった。

 

女性の中には、それを逆手に取って、脚光を浴びていく人もいる。

しかし、多くの胸の大きい女性は、謂れのない偏見に晒され続け、

それが人間性にまで影響を及ぼしているようだった。

 

仮に身体と精神は各々独立しているとしても、

それは自己の身体から完全に自由になれるというわけではなく、

属性たる身体(などの外的特性)は精神に作用を与えているということなのだ。

それは容姿や能力はもちろん、名前もそうだと思う。

「名は体を表す」と言うが、名前によってその人の人格まで規定され得るとするならば、

名づける際にももう少し慎重さが必要ということも頷ける。

 

番組は、その女性が手術室に向かうところで終わる。

術後、彼女がどのような心持になったのかが知れなかったのが、実に残念だった。

 

ところでこの番組、タイトルが「おっぱいでいっぱい」と言う。

アラフォー世代だときっとすぐに、この歌を思い浮かべることだろう。

 

「おっぱいがいっぱい」

おおらかな時代だったなー。