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久しぶりの看護の話


病院に勤めている頃は、緩和ケアチームの一員だった。

アロママッサージ担当で、ターミナルの方の病室に行って、マッサージをしていた。



私が緩和ケアと関わるきっかけになった本、『病院で死ぬということ』 を書かれた山崎章郎先生の講演会に行った。
20年前にこの本を読んだ時は衝撃的だった。
まだ、がんでも、最期の時に心臓マッサージをして、本人には告知をしないのが
当たり前の時代だった。
それから、緩和ケアに関わるようになった。
一生懸命、患者さんやご家族と関わって、寄り添っていた時があった。
病院を辞めて、緩和ケアから離れてしまっていたけど、
身内が血液のがんになって、高齢なので、治療をしないと決めたので、
いずれは家で看取ることになりそうな状況になり、久しぶりに
山崎先生のお話を聴きたかった。

3年前にも、家で義父を家族みんなで看取った経験がある
「家に帰りたい・・・」と病院を徘徊していたから、家に連れて帰った。
家は本当に良かった。
家に帰ったとたん、ベッドではなく、リビングのいつもの席に座って、
テレビを観て、義母のいれた紅茶を飲んで、くつろぐ義父を見て、
心から、『連れて帰って良かった・・・』と感じた。

亡くなった時も、家族みんなで、見送ることができた。
静かな最期だった。
ちょうど、三年前の桜が散る頃だった。
義母は往診をしてくださっていた先生に
「私の時もお願いします。」と笑顔で予約していた
往診は病院で一緒に働いていた先生にお願いをしていた。
開業をされていたので、お忙しかったのに、心よく引き受けてくださって、
「いつでも、些細なことでも、真夜中でも電話してください」と言われた時には嬉しくて、ありがたくて、心細かっただけに、涙がぽろぽろ流れた。
先生に不安なことを話すだけで、気持ちが楽になった。
「大丈夫、お家ですごすのが一番だよ、なんとかなるよ。」って励ましてもらった。

一番変わったのは家族だった。
最初はもちろん、不安だらけだった。
義母と義姉と中心になって、夫も義兄、私の娘達も協力して、介護をした。
介護というか、父と家で自然に過ごした。
でも、このことで、いろいろな話をして、みんなで一つになることが出来た。
家でみて良かったとみんなが思えたことが一番ありがたかった。

訪問看護師さんにも本当にお世話になった。
ちょっとした工夫をいつも、教えてくださった。
いろいろな方のおかげで、家で看取ることができたと思う。


山崎先生のお話は分かりやすくて、いつもながら、心に響いて来た。

家で死ぬということは
1、何時でも自分が主人公でいられる。
2、過剰診療が避けられる。
  病気が進むと食べられない、飲めないのは病気の自然経過で、その時に無理矢理、点滴したりすると、かえってむくんだり、咳が増えたり、苦痛が増える。
3、家にいるだけで、苦痛が軽減する。
  心が落ち着く、遠慮がいらない。したいことができる。
4、変化する家族の力。
  最初は不安いっぱいで介護が始まるが、だんだん、出来そうかなという風に変化して、最期を看取った時はなんとかやれたという達成感を感じる。
そして、家で過ごすことで、死に至るプロセスに子供も含めて、参加できることによって、死は怖いものではないと知ることができる。


家で最期まで看取ろうと覚悟すること。
家で大丈夫、家がいいよと他の家族に伝えること。
私が看護師だから、出来やすいのだけど、今は訪問診療や訪問看護も介護もあるので、
覚悟を決めたら、いろいろな方の協力を得て、『家で死ぬということ』は出来ると思う。


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