美しいという言葉は使い慣れた、日常に溢れた極々普通の言葉だけれど、これほどまでに心に染みた事は未だかつてないです。

綺麗に着飾る事や、スマートに、クレバーでいる事、その様によく使われるけれど、『美しい』ってのはきっとそんな生易しいモノじゃないんだ。。

壮絶とか

衝撃とか

わかんない自分の放つ言葉がちんけ過ぎて話しにならない


人は儚くて醜い。


もがいて、苦しんで、這いずって、汗かいて、涙して、


愚かだから、

儚く脆いから、

醜いから、

でも


『だからこそ』美しいんだと、



心の底から実感する機会をもらった。。


芸術。。


まさにそれは芸術だったんだよ。



芸術ってのは


絵を描くからでなく、
カタチある何かを作るからではなく、
綺麗な音色を演奏するからではないと思う。。


そこに込めた熱意を、

本気で、



ちがうかも



…本気なんて言葉がチンケに思えてしまうくらいのどストレートど真ん中、正真正銘全身全霊ありったけの自分を叩き付けるって事が、


その姿勢が、熱意が、


それこそが


芸術と呼ばれるものなんじゃないか、呼ばれるべきものなんじゃないかと感じた。


カタチでも色でも形式でもない。


そこに滲み出す、何処までもまっさらに叩き付けられたその人の人生が、生への執着心こそが

その感情こそが、その生き様こそが

芸術、アートと呼ばれるものなんじゃないだろうか。


芸術ってのは、決して敷居の高いものではなく、威張るものでもなく、難しいものでもない。
いつも皆のそばにあって、命あるもの全てから発信される、そんなとても身近な存在なんじゃないだろうか


芸術=人生


鳥肌たった


森の中の木々が、光を浴びる為に枝を広げる、弱い木は日光を浴びる事ができず枯れてゆく


強いモノは弱いモノを食べて、弱いモノは食べられまいと必死なんだ
食べる方だって食べなきゃ死んじゃうから、必死なんだ



そこに見栄も虚勢もプライドも何一つない、

ただただ今を精一杯生きる

なりふり構わず生きる

何が何でも生き延びる

生への執着心に、怯えて立ち止まるヒマなんてあるんだろうか


俺が俺で在る為に


君が君で在る為に


悩んでるヒマなんて、立ち止まるヒマなんて在るんだろうか


そんな、人が発した美しさを目の当たりにした時に


ああ、人間も自然の一部なんだと、


感じたんだ


目の前に白いモヤがかかったんだ



スローモーション




轟音は静寂となり




時はゆっくりと流れていった



気が付いたら涙が溢れてた





美しい


その言葉の偉大さを知った


そして、不完全という存在こそが、完全なのではないかと感じた。


人生がうまくいかないと嘆くけれど、実はそれこそがうまくいくという事なんじゃないだろうか






森の中


全ては森の中



生きよう