アイドルとの「日本語」が一般に定着したのは一体いつ頃のことなのだろうかと改めて思いました。

フランス人の新進女性シンガーとして人気絶頂であった往時のシルビイ・バルタンが歌った挿入曲も後世に知られるフランス映画「アイドルを探せ」が日本で初公開されたのは1964(昭和39)年のことで、東京オリンピック開催年の出来事でした。シルビイ・バルタンが歌った挿入歌の日本版タイトル(邦題)を決めるに際し、映画タイトルと同じ邦題が付されたことから、当時の日本の人々はその歌が映画の主題歌(テーマ曲)なのと端から勘違いし、映画と共にシルビイ・バルタンの歌までも共に日本に於いてはヒットしたと伝わります。元々は挿入された歌の一曲に過ぎなかったながら、この映画の、そしてシルビイ・バルタンのドーナツ盤レコードの邦題「アイドルを探せ」が、日本語の中に「アイドル(注・直訳すれば偶像」となる外来語)を定着させた意義は大きいと思います。

アイドルとの“新語”の醸し出す響きは、これまた随分と目新しかったのと思いますも、こんな外来語が浸透するまでは多少の経年を要するのと思います。

昭和40年代に登場し人気が沸騰するアイドル女優または歌手の新進女性スター達、酒井和歌子、内藤洋子(注・喜多嶋舞の実母)、黛ジュン、中村晃子、小川知子、等々の顔ぶれにはアイドルとの肩書は依然と付かなかったのと記憶します。1971(昭和46)年に南沙織、天地真理、さらに小柳ルミ子まで後に加えて、彼女達が同時期に歌手デビューした辺りから、アイドルとの呼び名が分類区分として認知され、やがて定着したように考えます。アイドル(偶像)とは群像を意味する表記なのであって、特定の個人を名指しした言い方ではないのです。アイドルとの同類項にジャンル区分けされたなら、その人物はアイドルであり、その人の同類もアイドルなのでありましょう。偶像の群像、これぞアイドルの定義であって、言葉の意味するところなのと思います。



アイドルとは偶像である。当の仮説を大前提に踏まえて論を進めて参れば、アイドルのプロフィールに偽りがあろうが、アイドルと冠される存在は所詮は偶像たる群像の一片なのではないだろうかとも考えられ、アイドルを偽りなき偶像として捉えるのは異なった解釈であるとも思えて来ます。

この私は明治学院大学フランス文学科卒ですが、私が大学に現役合格した当時、同大学の二部(夜間)の大学生として森田健作(注・当時のアイドル青春スター)が在籍すると周囲から幾度となく聞きました。年齢から考えても、氏は既に大学8年生()くらいであったでしょうから、一年後には中退扱いとなっておられた様子です。現在は千葉県知事となった森田健作氏のプロフィールの最終学歴には、明治学院大学法学部中退と記されております(注・ネット上から、Wiki参照)

法学部(第二部)に森田健作が入学したのは事実で、籍を置いたまま8年間が経過した事由から、そのまま退校(中退の扱い)となったのかも知れませんが、大学を卒業したと称しているのでないから、氏の経歴に詐称はありません。剣道の有段者であることも知事の自称であったと最近になって報じられ、アイドルと区分された人物のプロフィールには詐称が叩けば出て来るとでも、つまり報道は言いたげであります。県知事までの公人ともなれば、アイドルのような欺瞞に満ちたかの経歴では許されないのは然りでしょうが、「アイドルとは偶像(の群像)」なのであるとの拙文上の仮説を先ずは在りきとご承認を願えるなら、いかがわしいくらいな経歴こそアイドルっぽいとも申せませんかと投げ掛けたいものです。或いは、“虐説”に過ぎますでしょうか?



今般は、「復活、ミニスカ・ポリス」の日曜アキバ・ライブ(於・秋葉原)に、5月~三ヶ月間(計13週)を、私は参加し終えましたところです。5月に一回だけ欠席している私であり、結局は12回分を見届けましたが、ポリスの女の子たち(第14代ミニスカ・ポリスのメンバー、当初は11名、途中で増員し12名)も、各々に個性あって魅力的で、毎週のライブはいずれの回も見応えありました。

ミニスカ・ポリス自体は、過去にTV東京の冠番組で知っておりましたが、生のポリスを間近に見るなど予期せぬ初体験であり、私にとって斬新この上ないような週末イベントでありました。

当のライブ・イベントに参加したそもそもの経緯は、復活したミニスカ・ポリスのメンバーに川奈栞(かわな・しおり)さんが加入されたからで、彼女のブログにて告知を一読するや、このイベントに参加することが楽しみなスケジュールとなりました。

当初は11名のメンバーのうち、先述の川奈栞さん以外の誰もが未見の私でしたが、それぞれのキャラクターは馴染みやすく、特にリーダーの藤井梨花さん、はづきさん、このお二人は正統派の美形にて、すぐに存在を意識した私なのでした。あとは、アキバ・ライブの第一週に実施された参加者全員参加形式のジャンケン大会の場で、この私が勝ち残ってゲットした蜂須賀ゆきこさんの着用された水着も、まこと大切な記念のお品となりました。とにかく、ミニスカ・ポリスの復活ライブに参加する以前には、名前すら私は知らなかった女性達なのです。

魅力的なアイドル群像である、藤井梨花、はづき、蜂須賀ゆきこ、これ等の女性陣のブログを読ませて戴くようにもなりましたが、何だか法則があるかの実態に私は気付き、気付かされた内容には改めて驚かされておりました。

とみに最近のブログから読めたのは、昼食として自ら調理しこさえた焼きそば(茄子入り)の写真を自身のブログにアップされた梨花さん、お母さんの家庭料理であるオムライスをブログ写真にてアップされた蜂須賀さん、ミニスカ・ポリス関連のお仕事から自室へと疲れて戻り、そのまま寝床へ倒れ伏したはづきさん(自筆イラスト入り)と、個々の生活の実態があからさまなるままに読み取れた進展なのですが、一見して単純な内容の綴り加減が実のところとても新鮮でありました。このような生活感に満ちた日常風景を読ませて戴いたことが従来はほとんど無かったのです。



アイドル論から離れますが、日本のプロ野球は助っ人ストッパーとして実働2年間(198687)をジャイアンツで活躍、話題性が常から先行した観のルイス・サンチェ投手(注・巨人では背番号「20」)は、怪人と形容された外国人選手の名鑑に目立って位置する超個性派でした。ベネズエラ出身の黒い肌の強面で、スペイン語で日常会話する南米人のサンチェは素性がよく分からず謎めいた存在でしたが、日本でプレーした初年度(1986)にはオールスター・ゲームにも選出されております。野球が好きなお笑い人として当時は認識されていた北野たけし(当時は、“ビート・たけし”と呼ばれた)が、同年のオールスター試合のゲストとして解説席に招かれ、プロ野球談議を語っておりましたが、サンチェについて聞かれるや、

「この選手(サンチェ)はね、例えば“何を喰っているか”とか、どんなところに住んで寝ているのか、そんなことさえ全く想像できないような選手ですよ・・」

と、コメントしておりました。怪人のごとき存在をたった一言で評したあたり、北野たけしの洞察力はさすがな眼だと思わせましたが、何を喰っているのか、どんなところに住んで寝ているのか、そんな日常が謎めいているところなんぞ、サンチェのような存在も実はアイドルっぽい()のかと回顧しました。ただ、ルイス・サンチェは既に他界されており、享年51歳にて2005年に祖国で病死したとの由です。



サンチェは個性的な人物ながら、諸派であることから、アイドルの定義と仮説立てしました「虚像の群像」との分類には彼は合致しないと思います。ただ、北野たけしがサンチェを言い得た一語、「・・何を喰っているかとか、どんなところに住んで寝ているのか、そんなことさえ全く想像できないような・・・」そんな存在とは、まさしく本邦のアイドルとしての諸条件に符号している。県知事は「“自称”剣道三段」では許されないが、アイドルは例えば「“こりん星”からやって来た」と自称しても可なのと思うまでですが、昨今は私も気になっていますところの、川奈栞さんと彼女の周辺とを誹謗するがまでに及ぶ「2ch」の長々たる記載には、趣旨を私は理解できずおります。

そろそろ拙文を結びますが、

「川奈栞さんのブログに、いつもちょっと変わったコメントを書いていますが、栞さんのどこが良いのですか?今度、教えてもらえますか?」

との内容のコメントが、この私に寄せられました。

その問いへ回答を申し上げるに、

「・・何を喰っているかとか、どんなところに住んで寝ているのか、そんなことさえ全く想像できないような・・・」存在であります点、それこそが川奈栞さんの魅力であり、彼女のアイデンテティそのものです。

栞さんのブログを裕に一年以上に亘り欠かすことなく読んでおりますが、自作の手料理を写真入りで彼女がブログに紹介したことがありますか?お母さんの家庭料理を見せたことがありましたか?疲れて帰宅した栞さんが、いったいどんな部屋の寝床で横になっているのか、貴兄には想像が出来ましょうか?

親戚のお子さん達と食事しながらお喋りしたら、「“グラビア・アイドル”になるのに、試験はあるの?」と聞かれたとか、「料理はお母さんよりお父さんが上手、でもほとんど家には不在・・」とか、「自室には“ドキンちゃん”のコレクションを飾る」大棚が置いて在る、とか等々、ブログの日々の記載からは生活感が全く排されております。

支持する者が肯定するのは当然ながら、同じ内容を読んでこそ「2ch」の記載が成立するのでしょう。彼女が、手料理に家庭のこと家族のこと、仕事後の疲弊感とか記したなら、栞さんを誹謗するような記載がいずれ消えるのだろうか?

栞さんブログへの、ある日の印象的な読者コメントに、

「栞さんはブログに家族のことを書きませんね、特に弟のことを書いたのを見たことありませんね」

のような記載を見受けたことがありました。

「・・何を喰っているかとか、どんなところに住んで寝ているのか、そんなことさえ全く想像できないような・・・」存在であります点、それこそが川奈栞さんの魅力であり、彼女のアイデンテティそのものです。と度々のこと結論づけます拙文とでは着地点が異なる視点のご発言ですが、そのコメントを記された方と私とでは、実は同じ論を述べているまでなのです。偶像(もしくは虚像)たるアイデンテティに真っ向から接するのも一興と思うものであり、私にご質問された方も、「2ch」に記載されます各位へも、拙文の主旨が伝わりますなら幸甚です。



「2ch」の長い記載の只中に私が一読した書き込みに、

「実際に会ってみると“YのU・Hさん(注・栞さんイベント超常連の某男性のハンドル・ネーム)”は、良い人だぞ」

との記載がありました。私はようやく安堵し、私自身も何度も実際に会っている“YのU・Hさん”は、確かに好人物です。

イベント等の場に於いては、生身の人間の良さ(好さ)に共に直に触れ合い、その人々が生活感なきような存在である栞さんを応援するなら、今後ともよろしいのではないでしょうか?匿名の人々が重ねます中傷の書き込み連鎖よりは、生身な触れ合いに人間味がある分だけ、建設的な正論と私は信じたいです。



ぴあ(8/27)、107頁に私が顔写真入で載っております。封切されたアニメ映画「サマー・ウォーズ」の感想コメントを短く述べておりますが、私自身の本名が記載されるも、年齢は若めにサバを読みました。

何ら有名人じゃないこんな私だって、年齢を若く詐称します。名が売れた人なら、これくらい罪なきかと申し上げたいですね。


はっちゃん(蜂須賀ゆきこ)のお母さんお手製のオムライス、ブログ上にてお写真を拝見し、とても美味しそうでした。生活感を排するも、また共有させて戴くも、実は大いに楽しいし楽しむべき事柄なのと、私の長文を結びたく存じます。