▼長女をテレビ局に入社させず矜持を示した古舘伊知郎
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年代バブル狂騒が始まる直前に私は大卒新人としてJAL系の企業へ入社しましたが、当時のJALで私より十歳上なら父を知らない社員はいなかった。私の姓は東京では数少ない苗字でもあって、名乗ればすぐ親子であることが周囲に知られる、そんな実情がありました。

その後、私は早期退職制度に自ら応募し、45歳でJALグループと決別し、小学館グループで仕事を致しました。その折に上司だった人が、小学館の取締役の息子さん、つまり二世職員でした。この男性も車内で知らない人は居ない程の上役の息子ですから、随分とご苦労があった様子です。

親と全く異なる道を選択するのが、子の幸せかも知れない。名乗ればすぐ、「お父さんに、よろしく」と上の人が頭を下げる、そんな職場に子供の幸せがあるように、私には思えないのです。これは、実体験者の話としてお聞き届けください。
そんな私も、現在は親子の関係と全く無縁な映像制作会社の一社員として好きな仕事をしております。給料は正直に、JAL時代より少ない。でも幸せです。前途があると言うことでしょうか?
落ち着いたら今度こそ家庭を築くのかな、母親が若いだけ子供を儲けるに支障ないですが、この前途も長い道程です。