`70年代後期(1978年と記録される)から活動を開始した『ビジーフォー』は、そのグループ名(忙しい4人の意味)どおり、もっと売れて多忙を極めるかとも思われたものの、`84年ごろに活動を休止し、事実上の解散をしたと伝わります。ベース担当だった男性だけは引退し、グッチ、冬樹、ウガンダの超個性的な三名は個々に売れるのですが、後に何かバラエティ特番にて、グッチと冬樹が共演した際、

「やっぱり、ビジーフォーのステージをもっと見たいですよ、一緒にステージをまた演ってくださいよ・・・」

と、共演の芸能人各位から絶賛されておりました。演奏、歌唱、ステージ演出と、確かに卓越した“何か”を明らかに感じさせるグループでありました。その後、新たなメンバーを加え、新生として活動しますが、オリジナルの4人での再演は望めませんでした。先述とおり、メンバーの一人は早期に芸能活動から引退し、見た目が最も個性的であったウガンダ氏は逝去されています。

天才的とか、言葉で形容するは容易(たやす)いでしょうが、元からのレベルの違いを客観性を踏まえ説明することは不可と感じます。ただ、当初から卓越した何かを備えているとしか、申し上げようがないでしょう。オリジナル・メンバーのステージを度々と見た世代の私は、凄いグループだったとしか、語りようとてありません。

さて、土曜(11/29)は二ヶ月以上のご無沙汰にて、私もグリソム上映会に参加して参りました。岡本喜八監督「日本のいちばん長い日」がスクリーン上映され、原作者の半藤一利氏がゲストとしてお見えでした。元は文藝春秋社の社員で、往時に「日本のいちばん長い日」を上梓され、但し初版は大宅壮一編として世に出ました(いわゆる、大宅本)。後に、半藤先生は文藝春秋社を辞職され、文筆業に専念されます。先の大宅本に加筆され、訂正も加えられ、半藤一利の著作として再び世に問うたハード・カバー版の単行本が半藤本で、文春文庫版の半藤本にはさらに加筆が備わる内容です。

映画(日本のいちばん長い日)の原作者であります半藤先生へ、岡本作品に関する質問を投げ掛けるのもよしでしょうが、ここは戦後史の研究家であります半藤氏へ、何かしら日本戦後史に関する疑問を私は伺ってみたかった、よって日本の戦後の出発点の基準、その解釈を半藤氏へ私からは問いました。

日本のいちばん長い日と形容される、昭和20年8月15日、その日の正午からのいわゆる「玉音放送」を以って、日本の戦争は収束また終息すると捉えがちですが、一方の相手国であるアメリカ(アメリカ占領軍)は、同年9月13日の沖縄局地戦の終息を以って日本との戦争が終結したと、公式に発表を致します。

つまり、日本人が戦後を語る際に必ず起点と考える玉音放送の日付(昭和20年8月15日)と、いま一方の当事国であるアメリカの見解は、およそ一ヶ月近い違いが日付に刻まれて残るのが史実なのである。

この点、日本の戦後教育にて語られる機会はほとんど無い。どうもそのあたりから、日本人の戦後観の議論錯綜を生じさせてしまったよう、私には思えて仕方ない。単純なようだが、初期設定がどうも正しくなかったと考えてしまうのである。

等と、書き出したら序文だけで収まらなく為ります。

「今日は、“ケー100”の(上映会の)方へ行くのかと思った・・・」

グリソムのM支配人から言われますも、私は一人でもビジーフォーみたいな存在なので、自身のステージを担って、ゲスト氏からは「良い質問ですね・・」との一語だけ頂戴し、会場(グリソム)を後に致すのみです。

ナルシスティックだと、またアタリメさんから怒られるかも知れませんが、こんな流儀をもお赦し戴きたいです。

アカデミックな午後にて、有難うございました。“ちょいちょいちょい・・”とか掛け声の幇間噺より、ずっと確かに後学と為りました。長井さんのマネじゃないが、それは間違いない・・・。