先月にグリソム・ギャング(小田急沿線のミニ・シアター)に於いて、松竹映画「旅の重さ」上映会を開催した折、ゲストとしてお越しに為られたのは俳優の砂塚秀夫さん、自身よりお若い緒形拳氏が昨今はTVバラエティ番組に出演していると、どうも訝(いぶか)ったご様子でありました。

「俳優は、バラエティに出たらダメ・・!」

自らを諭すようにも、砂塚さんは語っておられたと、聞き手の私には思えました。

緒形拳さん、デビュー時は芸名を「おがた・こぶし」と読ませた逸話が残ります。しかし現場で「拳(けん)さん、けんさん・・」と呼ばれている間、その後の「緒形拳(けん)」で、お名前は落着いたらしい。急逝されたとの報道に、今朝はご冥福を祈るのみです。

天下の美少女としてデビューした当初の後藤久美子は、共演した際のロケ先で、休憩時間に緒形拳さんへ「こんぺい糖」をあげたらしい。その折の御礼の言い方と会釈が実に素敵で、永遠の少年を緒方さんに感じたと、後に何かインタビューで話しておりました。晩年はバラエティTVにも出られた“永遠の少年”は、特に闘病とかの報は為されず、突然に逝ってしまわれた印象が残されました(実は、ガンを患っておられましたとか・・)

緒形拳さんの代表作、私ならTVドラマ「豆腐屋の四季」だろうかな、昭和44年(1969)にTBS系列で放映された、当時は朝日放送製作のシリアス・ドラマ。

貧しいが一生懸命に働く「豆腐屋さん」一家が主人公で、主を演じたのが緒形さん。夫婦に子供が生まれるのですが、「風の強い夜に生まれた」とこれからも思い出したら良いと、確か産院で医師から言われる場面がありました。

「風の強い夜に、生まれたですか・・・?」

確かに、嵐のような夜に、赤ちゃんは誕生したのでした。

東京は雨の降り止まなかった夜、或いは緒形さんは逝かれたのかも知れない(一昨日は五日に他界されたとの報道です)

ひし美さんの会で「満腹ボクサー」さんとお知り合いに為れたばかり、そんな節目に拳さんがお亡くなりに為ったとは、私は氏を名優さんとずっと思っておりますし、確かに永遠の少年であったとも思います。そhして、拳(こぶし)のような人でした。

昨晩は下北沢にてイタリアンな夜、赤ワインが進む間、私と「まるこ・・」は何故に結婚しないのか問われる立場に(もう一人は女性が相伴でした)

若い女の子の相談相手とかによくなる立場ながら、それ以上の発展とかは皆無と「まるこ」は言う。

若い女の子からメールが携帯へ入るのは私も同じ感じ、映画ロケの仕事の合間に寄こした相談メールに、一所懸命に返信するのが私の役目。

「まるこ」は“母をたずねて三千里”の主役ではないし、あちらはMARCOでしたねと、あまり関係ない展開にて、今宵の睡魔は赤ワインが誘引し、永遠の少年たる後継者は、起きたまま何か寝ておりました・・・。