ソクラテスとの名を聞かば、誰もが直ちにその存在感を各々に想起するまで著名な古典哲学者と思いますが、そのご当人は痩せた哲人だったとの歴史伝承譚に反して、現在で申すマッチョ体型で実はあったらしいです。

「太った豚より痩せたソクラテスになれ・・」

と、こんな名句を式典で語ったと伝わるは、東大元総長の大河内一男(経済学者)、東京オリンピックが開催されたと同じ年、昭和39年(1964)春の東大卒業式で述べる総長スピーチ予定稿所収の言葉から(但し、本番当日の決定稿からは、当の一行は割愛へ至ります。ソクラテスが痩せた体型だったとの史実を確認不可だった為、この記載を卒業式典で述べるをカットしたとも後世へ語り継がれます)

昭和四十年代前半、首都圏では大学紛争が日常茶飯なまで賑やか為りし当代、東大総長が実際に語った名言として度々と取沙汰されたのが、件のソクラテス発言。崇高なる思想を描く哲人は自ら痩せやつれ、それこそ苦渋に満つた表情であったと手前勝手にイメージすることが、イデオロギーの闘いに日夜この身を投ずる(と自認する)立場には、精神的な救済に為ったのと思えます。ただ誤認があるのに、高名な哲人が正しくはマッチョ体型だったとの事実。TVドラマからの影響が絶大なる所為か、小柄な好々爺であったとの偶像が先行する水戸黄門のイメージも、実像はきっての大男だったとの史実に匹敵する程、何だか裏切られたような後味を一方的に仕舞います。

私の前職、JALPAKの社員であり、海外パック旅行のツアー・コンダクター業務等を歴任致しましたが、私が新入社員だった当時の新人教育担当官は元俳優でした。その係長が見事に演じて見せましたは、歌舞伎十八番「外郎売(ういろううり)」の有名な口上”透頂香(とうちんこう)“の触り。

「・・・即ち文字には、“頂き、透く、香い”と書いて“とうちんこう”と申す・・・」

これを演じ、掴みはOK。本題の研修に入ってからも、演技考察論が再三と出て参ります。

「泣かす演技を行う俳優は、大泣きしながら演ずるのではない。当人は泣く寸前にて堪えた演技を見せる・・・」

これ等は、今日でも戒めとして私は鮮明に刻みます。泣かせる程の共鳴感を周囲に与えし者は、自らは泣かないのである。

哲人に戻ればソクラテス為らずも、痩せ型の哲人は実在する。その様相は苦渋に満つるも、人生の命題に何も行き詰まったのではない。

「どうして人間には葉緑体が無いのだ・・・」

食事を摂る間合いを見出せない哲人は、空腹に苛(さいな)まれていたのである。

そんな彼は、見事なる理系であった・・。