芸術のことは自分に従う、以上三題が並べば小津安二郎監督の遺した哲学的名句と為ります。ダンディな洒落者で知られるこの巨匠監督は、真っ白無地のシャツ(Yシャツ)を好んだことでも知られます。若い時分にはいろいろ試しても、結局は白無地のシャツに行き着くと、生前の監督は語っていたそうです。先述の名句を踏襲するに、白無地以外のシャツが流行った頃合も当然にあったと思われます事由から、小津監督が白シャツを着続けた背景は流行等とは無縁なのですから、ご当人その心にあってこそ何でもないことではなかったのと考えられます。自身のスタイルが人生哲学の領域まで特化された精神性だったのだろうか
昨日(水曜)のこと、教材編集室内の雑談からご質問を頂戴したのですが、
「スタッフ(職員)のドレス・コードって、何か決まりがあるのですか?」
と、教材作成の先生から尋ねられた私はお答えし、
「これまでは、黒い上下に白いシャツとのドレス・コードでした。最近は緩和され、薄い色の上着とか色のシャツも良くなったようです」
いつも白いシャツ(但し年中半袖シャツを着用する私です)にネクタイ、黒の上下で出勤する私の装いが目新しいか奇異に映ったのかも知れないと考えたのですが、確かに一徹なスタイルかも知れないです。以前は旅行会社サラリーマンだった私は、海外パック旅行ツアー・コンダクター(添乗員)とか、空港スタッフとして接客に直接関与した時期が長かったので、仕事時は制服を着用するものとの概念が根強いのかも知れないと考えます。芸術は自分に従うとの小津談ですが、これは私の場合、勤務ではない時間帯(OFF日)にこそ嗜めば可と常から決めております。
“何を着ているかが問題なのではなく、何にも着ていないことこそ大問題・・?”
と、こんなことまで申しますから(とりあえずはジョークなのと思いますながら・・・)。
「夏季はスケジュールが変則だね」
と、英国人講師某氏が言われたのですが、その際に氏は他の方々が居られる場では「スケジュール(米語)」と発音され、私と二人の場では「セジュール(英語)」と言われた。
「普通はどちらの言い方をされますか?」
私がお聞きすれば、
「セジュール(英語式発音)の言い方をしますが、但し“スケジュール”と言わないと日本では先ず一般に通じないから、アメリカナイズドして発音するよう心がけております」
言葉こそ“人”なりと思います。このように重大な要素を周囲に合わせつつ生活されるとは、想像を超越する難儀かと察すれば、ご本人こそ楽しんでおられるご様子でもあります。小津監督の三題だって、要はご当人が楽しんであることこそが、最も重要なのと思います。
ドレス・コードに関して実は私も楽しんでおります。録音スタジオに入る際に男性はネクタイ着用のこと、これはイギリスに旧くは存在した慣習ですが、初めて従わなかったのはビートルズの面々とも語られます。1964年2月、アメリカTV生放送「エド・サリバン・ショウ」に初出演(ニューヨークのスタジオにて生演奏)した際、ビートルズは黒スーツ姿、白無地シャツにネクタイ着用でした。それが最もビートルズらしいスタイルなのだから不思議で、後年の一見は自由闊達と思える服装こそ、皮肉にも拘束されて見えてしまう。
演奏後のインタビュー、ポールはアメリカナイズドを意識した発音を意識し、ジョンは敢えて普通どおり話しております。両者の頑固さは共通ながら、表現法が異なっていたのと思います。その場を楽しんでいるやり方が違って見えたのみとも思います・・。