​​

2歳半で知的障害と自閉症の診断


5歳半のIQは105
ドクターからはもう少し伸びるかもと期待できる子になるよと言われる位に成長しました

発達障害ではない。と
ドクターから言われました

療育は3月まで続ける予定です








息子が2歳半の時に知的障害・自閉症と診断されました






3歳ちょうどで息子は三角頭蓋の手術を受けましたが、この間の私は今考えると完全に狂った感覚を持っていました(当時は自覚はありませんでした)






今日は当時の私の本心を書こうと思いますが
人間として思ってはいけない事・自死や家族心中に関する内容がありますので不快に思われる方はUターンお願いします。とんでもない行動もありますが過去の事ですのでお許しください。







息子に診断が降りたとき
自死が頭をよぎり続きました







私1人だけこの問題から逃げ出したい
もう悩みたくないと思い続けました







自殺防止のホットラインに泣きながら電話した時、カウンセラーの方に言ったのを覚えています






「死んで逃げ出したい。もし息子が死んだら悲しいけれどそれ以上にほっとする気持ちもある」







親として人間として最低ですが
そんなことを本気で思っていました








また旦那は息子の障害に対して楽天的すぎで
当時はあまり私に寄り添ってくれませんでした








私は泣きながら発狂して「みんなで死のう」と旦那に練炭を買いに行かせました



旦那は本気にしていなかったのでほんとに買ってきたんです。その後は私が本気だと言うことを理解して一晩かけて謝られましたが、とんでもない夫婦ですよね。








当然練炭は使う事はなかったのですが
今でも玄関にそのまま置いてあります








息子の三角頭蓋の手術日が決定して
母親に手術を受けることを打ち明けた時も

「勝手にそんなこと決めてほんとにあんたは危なっかしい!そんな手術絶対に許さない!」



と手術を全否定されました







まぁ確かに母もいきなり聞いたこともない手術するなんて言われたらびっくりしますよね。でもいきなり全否定するのではなくしっかり手術について調べて自分なりに考えた上で発言して欲しかったとは今でも思います。母のように怒りや圧で人の考えを捻じ伏せようなんて無理がありますから







検査結果も出て医学的にもドクターが手術をするべきだと判断したのだと母に説明しますが、どうしても納得してもらえません








私も手術に対して不安で押しつぶされそうで
母に応援してるからねと
背中を押して欲しかったのです

すがる思いで報告したら怒りで反撃されて落胆しました









手術=危険のイメージで反対する母に対して

「息子に何かあったら私が責任を取るから大丈夫!」と啖呵を切り半泣きで帰ってきました






ここで言う責任と言うのは
息子と一緒に死んでやるよと
言う意味だったんですけどね







今考えれば極端で何の解決策にもならないのですが、当時の私は死で頭がいっぱいだったのでこの選択肢しか思い浮かびませんでした








このときの私は誰にもわかってもらえない
周りは敵だらけという感覚で人を避けて

不安な気持ちなど
自分の気持ちを悟られないように生きていました








息子が退院と同時に私は精神科を受診して
うつ状態(うつの前段階)の診断を受けます

2年半をかけて投薬とカウンセリングで軽快し
現在は精神科には通っていません








当時の私の行動や思想は許されざるものではありません。でも道を外さずよく頑張ったねと過去の自分には言ってあげたいです

現在は穏やかに過ごしています






読んでくださりありがとうございました