【古寺巡礼】 ~白隠の里を歩く~
徳源寺
臨済宗妙心寺派 安泰山 徳源寺(とくげんじ) 興津清見寺末
沼津市原297
開創:応安元年(1368)
開山:賢宗祖鑑和尚(勅諡圓満護国禅師)
※ 白隠(岩次郎)が14才の時、徳源寺十二世東芳祖均首座から読み書きを習ったところです。
建久4年(1193)源頼朝が富士の巻狩りの際、この地に陣を構え御殿を建立したと伝えられ付近に「御殿場」の地名も残ります。
開山は鎌倉円覚寺の創建に貢献した賢宗祖鑑禅師で当初は円覚寺派でしたが、無住の時代があり承応3年(1654)興津の清見寺から松厳宗密老師を招いて中興開山、この時から妙心寺派となります。
時代が少し遡りますが戦国時代には円覚寺の大勲策禅師が瀬古村(現・富士市今泉)に善得寺を建立、この時には徳願寺は善得寺の末寺となっていたようですが、応仁年間(1467~69)に起こった原の大火で史料は焼失し残っておりません。
現在の本堂・庫裏は延享2年(1746)の火災で伽藍が焼失した後、十五世衛川禅行和尚の時再建されました。
*境内を清掃していた奥様から話を聞くことができました。原町の中心部にある「植松本家」の他、植松姓の墓石が数多く見られます。昔は寺の東側一帯かなり広大な敷地があった本家ですが、現在は中心部の交差点西側に沼津市管理地となった「帯笑園」として庭園を公開しているだけになってしまったようです。原町一帯に残る植松家の墓石はほとんどが分家のようです。
*植松本家は墓誌を見ると昨年(令和5年5月)に亡くなった靖博氏が十三代目なので現在は十四代目ということになります。植松氏の出自は甲斐武田氏に仕えた武士のようで、天目山で武田勝頼が敗れ武田氏が滅亡した後、植松一族は駿河のこの地に移ってきたようです。江戸時代には本陣の隣に位置していたこともあって、皇族や大名、文人・画人など多くの訪問客があったようです。
徳源寺参道 山門(現在工事中)
本堂 庫裏
酬恩殿 (伝)源頼朝お手植え松3代目
地蔵堂 子安地蔵尊 石製 坐像
水子地蔵尊 石製 立像 般若心経 摩尼車
(1回転させると経を唱えたことになるらしい)
歴代住持の墓所 開山 賢宗和尚の卵塔
植松本家の墓所 新しい永代供養墓