【彫師 西田光次のこと】

 

先月9日に三島の六所神社拝殿彫刻に見た「富士郡吉原町 西田光次」という刻銘から21日に投稿した「町田源太郎」についてのこと。

気になっていた富士宮宝町の本光寺を訪問して「西田光次」について尋ねてみました。先月の町田建設親戚の町田さん、富士市瓜島の本光寺と同様に富士宮の本光寺は大正13年(1924)新築の本堂ですが、今年でちょうど100年経ち現在のご住職の奥様の話でも不明でした。

 

これで結局、吉原青島の「西田光次」なる彫師が吉原青島にあった町田建設、町田市太郎ー町田源太郎の筋とは関係があったのか?わからずじまいになりました。これ以上、町田の彫師系統も西田の彫師の系統も辿ることができません。

 

そんな時・・・思いがけず、6社合同で行われる「吉原祇園祭」の1社で東本通り三丁目の氏神「八幡宮」の向拝彫刻が西田光次作ということがわかりました。

この八幡宮は創建は安永元年(1772)ですが、大正14年(1925)に社殿を新築しました。その後昭和24年(1949)に岳南鉄道敷設のため社殿を現在地に移転せざるをえなくなりました。しかし彫刻はそのままですから大正14年作ということになります。昨日確認に行ってみると左木鼻の獅子の下側に奉納者、右木鼻の獅子の背に彫師の刻銘が見えました。

 

富士宮の本光寺の大正13年と三島の六所神社の昭和6年頃の2作品、それに吉原の八幡宮が大正14年ということで大正末から昭和初めにかけて地元で活躍した彫師だということだけわかりました。出自や師弟関係などは不明なのが残念です。地元ながら・・・

 

※三島の法華寺の「西田公威」はどうやら別人のようです。時代と姓まで合うのですが、こちらは「吉原青島」と「光次」の名ですべて彫っているようですから。

 

 

 

   

          富士市(吉原)東本通り三丁目の「八幡宮」

 

   

               向拝蟇股の「龍」

 

   

               木鼻の「振向獅子」

 

   

 

 

   

獅子の腹(下側)の奉納者名        獅子の背にあった刻銘
「大阪市東区徳井町 野田謙次」      「青島 西田光次 刻之」

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           富士宮宝町の「本光寺」本堂向拝
            蟇股の「司馬温公甕割りの図」
               水引虹梁「龍」

 

   

  本堂木鼻の「振向獅子」            向拝彫刻の刻銘

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            三島市日の出町の六所王子神社
              拝殿向拝蟇股の「龍」
               水引虹梁「牡丹」           

 

   

    木鼻の「振向獅子」            六所神社の刻銘