【古寺巡礼】  ~法田寺(4)本堂内陣彫刻~

 

法田寺十三世永田泰嶺禅師による『法田寺誌』によると、本堂内陣彫刻が伊豆松崎の「石田半兵衛」作と伝えられている、とのことで今回の古寺巡礼を決めたものです。

 

同誌では「内陣の正面欄間に龍の彫物があり、左右の柱に唐獅子が掲げられている。雄渾な作風で伊豆国江奈住人石田半兵衛の作と言はれている」と書かれています。

現ご住職にお願いをして撮影させていただきました。正面内陣欄間の部分に龍が、そして柱には「唐獅子」と書いてありましたが、どうもこれは麒麟ではないかと思われます。

ご住職が法事の準備でお忙しい中でしたが、あまり詳しいことをご存じなかったようでした。

 

また同誌の中に「彫物は横割の福寿院の建物を移築したとき、附随して移したものであろう」とありますが、移築された時が明治16年(1883)です。この建物が福寿院の当時の本堂かどうかわかりませんが、どうやら向拝蟇股の龍と虹梁のサイズから観音堂か何か小堂のものではないでしょうか。

 

そして、柱の動物は一角・龍顔・髭あり・毛はカール・足の蹄という特徴から獅子ではなく麒麟だと私は判断しました。すると向拝の木鼻で麒麟は見かけないものですから別の所にあったものと思われます。

 

彫師は小沢一仙(石田馬次郎=一仙・慶応4年没)のように書かれておりますが、一仙は二代目半兵衛を名のったとは思われませんし、幕末の動乱で尊王攘夷を唱え偽勅使の疑いで慶応4年(1868)に処刑されています。父の石田半兵衛邦秀も明治4年(1871)に亡くなっていますが、晩年は4男徳蔵が山梨谷村で福田家の養子になった折ほとんど山梨で活躍しています。

明治16年に移築した福寿院の建物だとすると、明治以前のものになります。向拝に付けられた彫物だとするともっと傷んでいるように思えますが・・。ここから先は追跡調査が難しいので「石田半兵衛邦秀」作だと自分で納得するしかないかもしれません。

 

※ 刻銘があればはっきりするのですが残念ながら裏側を見てもありませんでした。

 

 

 

                 本堂内陣

 

   

内陣欄間部分の「龍」 ・上の額文字は黄檗宗大本山萬福寺第44代柏樹曄森(はくじゅようりん)禅師の揮毫です。

 

   

左側の「麒麟」だと思われる動物      右側の「麒麟」だと思われる動物

 

   

    虹梁左側の「牡丹」            虹梁右側の「牡丹」