【歴史ウォーク】  ~増善寺~

 

   今川家霊廟

 

駿河今川氏は第9代当主の義元の時代に最盛期を迎えますが、その父親である今川氏親は曹洞宗に関心が深く明応9年(1500)に伽藍を建立、増善寺を開きました。大永6年(1526)に死去しますがこの増善寺で大葬儀を行い菩提寺として増善寺墓地に葬られました。

 

氏親の父親は第6代当主今川義忠ですが、塩買坂(現:菊川市)で戦死し近くの正林寺に墓所があります。

大永6年に亡くなった氏親ですが、6人の男子がおりました。嫡男が氏輝で父が亡くなる1年前の大永5年に元服、翌年に今川家の家督を継いで第8代当主となりますが、14歳という若年であったため実際には母親の寿桂尼が後見人として政務に携わっていました。その氏輝ですが天文5年(1536)に享年24歳にして死去。家督を継いでからわずか10年のことでした。

 

この後、異母弟の三男である玄広恵探と富士市の善得寺で仏門にいた五男の栴岳承芳(後に還俗して今川義元)との家督争い(花倉の乱)になり承芳が太原崇孚雪斎の力を借り勝利します。そして第9代今川家当主、今川義元になるわけです。

 

※ 今川家の墓所はそれぞれ別になっているようですね。6代義忠は正林寺にあり、7代氏親がここの増善寺、8代氏輝は臨済寺、9代義元は戦死した桶狭間の近く愛知県豊明市の高徳院他3ヶ所と言われています。

 

※ 霊廟の中には3基の五輪塔が納められておりました。中央の一番高いものが氏親の墓石とわかりますが、両側の2基が誰のものかわかりません。住職に尋ねてもわからなく、寿桂尼のものだと言われていると。しかし、寿桂尼は静岡・沓谷の龍雲寺に墓所はあります。こちらも正室の寿桂尼の墓石でも納得しますが、ではあとの1基は誰でしょう?早逝した嫡男の氏輝でしょうか?何も資料がありません。

 

 

          霊廟は増善寺墓地の最上段にあります    

   

 

 

     

 

        3基の五輪塔  中央が氏親ですが、他の2基は?