藤枝大祭り  報告【1】

江戸時代、田中城の鬼門を守る青山八幡宮の大祭が始まりで、やがて式内社であった飽波神社の例祭に引き継がれていきます。
飽波神社の例祭は3年に1度の大祭(寅・巳・申・亥年)時に神輿渡御の付け祭りとして山車を曳き、長唄・三味線による手踊りの祭りとして定着してきたものである。
明治14年(1881)の史料にも、すでに山車が曳かれていることが書かれてあり、神輿の後に従っていた山車には練り物が乗っていて、曳き手も仮装衣装をまとって手踊りをやっていました。
唯一...残されている写真に明治35年(1902)の白子区の山車は3層高欄で唐破風の付いた高さも7~8mもあろうか、立派な山車が写っています。
しかし、明治44年の電化に伴い電線の敷設で鉾台は取り外さなければならなくなりました。この後は改修して舞台屋台に変わっていきました。高さは飽波神社への奉納踊りのため大鳥居をくぐれる高さに統一されています。

現在の氏子町内は新しく加わった原区をいれて14町内あります。
旧東海道藤枝宿の東西約3km、南北約2kmの範囲内で飽波神社を中心に街道を曳きまわし止まっては踊りを披露するといった祭りです。

第1回目は宮本の益津区(ましづく)です。
平成7年10月新築、総檜の白木造、唐破風大屋根の屋台で、彫刻は沼津の梶山桂仙師の4男桂成師です。

1,志太地方最古の式内社「飽波神社」
2,飽波神社拝殿
3,宮入前 「ヤレコノセー!ヤレヤレヤレヤ」
4,大鳥居をくぐる
5,屋台右側面(前の囃子台に長唄・三味線・小太鼓・笛 後部楽屋に大太鼓)
6,見送り幕(三桝印)

7,正面鬼板(町印の三桝と雲に鶴)
8,正面唐破風懸魚(牡丹に獅子)
9,小脇右(上り龍)
10,脇障子左(登龍門)
11,見送り蟇股(双龍)
12,梃子棒(長さ5~6m 正面せいご台中央に挿す)
 
 
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