バリアフリーって何なのだろう? | オッサンの戯言

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足を痛めてから4日、まぁ正確に言えば6日ですが今まで街中を歩くって事が大変だった記憶はない。
しかし普通に歩く事が困難な状況になり、それでも歩いて出掛けないとならないってなって気が付いたのは些細な段差が多いって事かなぁ。
普通に歩行していた時は全く気にならなかった僅か数センチの段差やくぼみ、、ほんの僅かな傾斜でさえもが普通に歩けない状態だと厳しい物となってしまう。
オイラの住んでいる所はエレベーターやら出入口はバリアフリーとなっているが、それはただ手すりがついていたり階段ではなくスロープになっているけれど、バリアフリーなのはそこまでで後は普通のアスファルト舗装でしかない。
まぁそれでもバリアフリー対策のなされていない所よりはマシなのでしょうけどねぇ、僅かな傾斜でも足に負担がかかるって事が判っていればもう少しスロープの距離長くするとかしてなんて思ったのもオイラの足がこうならなければ感じなかった事。
まっバリアフリーにしても復興にしても、そこに関係の無い連中が机上で考えた事なのでホントに必要な事や必要な物が理解出来ていないからでしょうけど、みてくれでけのバリアフリーなら無意味だって事が判っただけ収穫なのかも知れません。
だからと言ってオイラが福祉の政策を訴えて総選挙に立候補なんて事はありませんが、オイラ達の世代が高齢者になる頃には、もう少し進んだバリアフリーを望みたいですなぁ。
地下鉄にしても改札までエレベーターを付けたりしてますが、そこへ行くまでの歩道に段差あったり、階段しか無い駅もあるし、ラッシュの時間帯には座れもしないし結構左右に揺れるしで踏ん張り効かない人は車内で転ぶだけですからねぇ。
同じ事はバスにも言える、乗り降りはノンステップで楽ですが右に曲がろうが左に曲がろうがかなりの遠心力かかり普通に吊革つかまっていても身体が持っていかれるなんてのはしょっちゅうですから、座席が人で埋まっているとこれまた転ぶしかない。
松葉杖でもついていれば傍から見ても足が悪いって分かるでしょうが、そこまで悪くない人は外から見たら見分けつかないしねぇ。
まっ今から線路を真っ直ぐにしてとかは言いませんが、健常者や被害を受けていない人の考えで物事を進めても無意味って事は、それを必要とする人達が考えるか意見を無条件で受け入れるかなのでしょうねぇ。
と今は思っていますが、足が治ってもそう思っていられるか?オイラの事だから忘れてしまうかも知れないなぁと思ったのでブログにしてみました。