🔰BMW初心者→シャフト使いへの道(乗り物と食べ物と生き物と)

 

裏道志みちで雛鶴神社へ行き富士東部南線や周辺林道散策、雛鶴峠を越えて、鈴懸峠経由で気になった林道の支線を探索(収穫なし)、猿橋から、渋滞するR20を避けて、R139で松姫トンネルへ上野原丹波山線で戻って来て陣馬山和田峠を抜けて渋滞なく帰ってきました

 

 

宮ヶ瀬に行く時に渋滞を避ける道の一つ

 

小倉橋や相模川高速といわれる

 

堤防沿いの道から県道510号線で

 

長竹カントリー下の串川橋

 

交差点T字路に抜ける道を選択する方は

 

 

走行中 麺と中華の考和 を見てると思います

 

名前を知らない方もこの写真を見ると

 

「あっ、あのお店ねっ」

 

ってなるのではないでしょうか?

 

R412に出る為の道では1番混まない道だと思います

 

 

私も知ってはいましたが

 

入った事はありませんでした

 

ブロガーの方が美味しいって書いていたので

 

勇気を出して(笑)

 

入ってみました

 

 

店内のカウンター席は

 

10名くらいでしょうか?

 

小上りに2テーブル

 

ご夫婦でやられているようですね

 

綺麗なキッチンで安心感のあるお店です

 

 

メニューは豊富ですが餃子はなく

 

水餃子のみのようですね

 

潔さがとても気になります

 

気になるといえば・・・

 

肉あんかけ麺?

 

 

これも超気になります

 

肉入りあんかけ麺なら

 

肉多めのあんかけ麺を想像できるんですが


肉あんかけ???

 

みたらしだんごのような物体しか想像できません

 

 

しかし初めてのお店なので

 

危険な冒険はやめました(笑)

 
まず出てきたのが水餃子(500円)
 
もうね、皮プリプリでおいしい!
 
「ビール下さい!」

 

 

って言いそうになりました(笑笑)
 
お次はメニューの一番最初にある
 
特製考和麺(780円)にしました
 
これも特製って付くだけあって

 

とても美味しかったです

 

 

御馳走様!

 

この次は肉あんかけ麺に挑戦です

 

失敗しない安心感を求めてメニューがわかっている

 

外食チェーン店ばかり入っていましたが

 

街中華は未知のメニューがあり楽しいですね

 

 

お腹がいっぱいになった所で出発

 

しかし、考和の奥さんは気配りが細かく

 

水がなくなるとすぐに注いでくれます

 

もうね、上手く説明できませんが
 
お水がわんこそば状態(笑)
 

 

鳥居原に寄りトイレを済ませ裏道志へ

 

お腹いっぱいでぼーっと裏道志を走っていると

 

雛鶴神社の手前に「富士東部南線」って

 

気なっていた看板があった事を思い出しました

 

発作的に右折・・・穴だらけのアスファルト(汗)

 

 

道幅の広い酷道でした(滝汗)

 

杉はこの時期、常緑樹なのに

 

落葉するんです、道は杉だらけ

 

この荒れ方はこの道が行き止まりになっていて

 

この先民家もない事を示しています

 

 

トンネル入り口に「大地峠トンネル」

 

のパネルがあります

 

道幅も広いしトンネルも綺麗

 

市町村の管理する一般の林道では

 

あまり見ないようなお金のかけ方です

 

 

道の荒れ具合から予想した通り

 

大地峠を降りるとすぐに行き止まり

 

この先は細い道です

 

この行き止まりの場所に

 

何かを建設する為に

 

 

整備された道だったんですね

 

この建設地はスケールが大きく

 

ちょっとびっくりです

 

この雛鶴峠の向こうにリニアモーターカーの

 

実験場があるので

 

 

リニアモーターカーの施設?資材置き場?

 

リニアモーターカーのトンネル出口?

 

がけ崩れでもないし・・・

 

何かしらの大きな予算が付いてそうな

 

工事現場です

 

 

地図上は大地峠から国道20号線の方に

 

少し降りることが出来ましたが

 

ここで通行止め

 

引き返しました

 

先ほどは「富士東部南線」の看板の

 

 

十字路を右折しましたが

 

今度は左折してみました

 

ガードレールの上に糸のように見えるのが

 

裏道志みちです

 

結構登ってきたようですね

 

 

裏道志みちの左側の富士東部南線は

 
道志みちまでは続いておらず
 
ここで行き止まり
 
先ほどの大地峠は標高が比較的低いので
 
超えられましたが

 

 

秋山峠側は道志みちまでは

 

続いていないようです

 

まあ当たり前ですよね

 

道志道を走っていて

 

こちらから出てくる道がないですからね

 

 

でも・・・ここから下っているので

 

もしかしたらここが峠かも

 

峠の向こう側には・・・視界が開けて

 

道志の村役場とか紅椿の湯が見えて

 

女湯がのぞけるかも(笑)

 

 

逮捕覚悟で?歩いて行ってみましたが・・・

 

何も見えませんでした(笑)

 

ここもリニア関係の何かを作るための

 

整備道路かもしれませんね

 

Uターンして戻りました

 

 

帰りは先ほど登って来る時に

 

分かれ道があったのを思い出し曲がってみました

 

裏道志の山の中を走っていると

 

突然「あれっ、道が良くなったな」と思うと

 

リニアのトンネルが現れてびっくりする事が多いです

 

 

やっと本日の目的地雛鶴神社です

 

ちょっと寄り道しすぎました

 

でもこの道どこに繋がってるのかな?

 

て思って行ってみるのって楽しいですよね

 

そんな事を可能にする冒険の相棒は

 

image

 

小さくて軽いメグロ K3です

 

冒険って名前が付いていますが

 

R1200GS アドベンチャーでは

 

重くて大きくて今日の道はとても無理

 

行く気にもなりません

 

 

雛鶴神社は雛鶴トンネルの手前にある神社で

 

無生野(シェルのスタンドの所の集落)を過ぎたところ

 

このコーナは見覚えがあるんじゃないでしょうか?

 

この看板を歴史オタクの私が直訳すると

 

時は鎌倉時代終わり~室町時代のはじめ

 

 

後醍醐天皇の息子さんの奥さんが

 

雛鶴姫

 

旦那さんと

 

お父さん(後醍醐天皇)は

 

鎌倉幕府(日本初の軍事政権)を倒す事に成功した

 

 

スーパー天皇親子だったんですが

 

鎌倉時代から室町時代に変わって

 

お父さんが天皇になった後も

 

倒幕で大活躍した旦那さんはあまり認められず

 

父親ともそれを支える軍部とも対立して
 
 
鎌倉で首をはねられて殺害されてしまいます
 
身重だった雛鶴姫は捨てられていた(汗)
 
旦那さんの首を拾い、戸塚駅の近くの国道1号線
 
ブリジストンの工場の近くの井戸で首を洗い(滝汗)
 
私が今年初詣をした宮ケ瀬の光明寺↑に滞在後
 
 
裏道志みちを歩いてこの無生野にたどり着きました
 
この地で産気づき、助けを求めて
 
お供の兵隊と共に無生野の家々を訪ねましたが
 
政府側の報復を恐れて
 
無生野の村人は誰も家に入れなかったそうです
 
 
選択の余地はなく都留まで行こうとして
 
雛鶴峠を超えようとしたそうです
 
当時はもちろん雛鶴トンネルなんてないですよ
 
もちろん旧道経由です

 

旧道なんてバイクだっていやになる様な↑

 

image

 
険しい道です
 
あっ、もちろん旧道の狭いトンネル
 
雛鶴隧道↑でさえ、その頃は無かったので
 
山頂経由で都留です(汗)身重で・・・
 
そして、その途中のこの地で出産
 

 

それも吹きっさらしのこの地で

 

枯葉を集めただけのベットで出産(汗)

 
しかし(案の定というか)
 
母子ともに亡くなってしまいます
 
そりゃそうですよね
 
image
 
時期は年末
 
冬の超寒い裏道志で
 
地面の落ち葉の上で出産なんて・・・
 
私なんて冬は凍結が怖くてバイクでは通りません
 
裏道志みちはそれくらい寒い所です

 

 

そしてこの村の名前が無生野・・・

 

めずらしい名前だと思いません?

 

じつはこの事件後、雛鶴姫のお供の兵隊から 

 

野(情の無い人しかいない野原)って

 

名前を付けられてしまったんです

 

でも流石にそのまんますぎるので

 

現在は無野になりました

 

PT 無生野の大念仏に行こう!!(2019年08月16日) - KITの気ままな旅日記

 

https://www.city.uenohara.yamanashi.jp/gyosei/docs/4487.html

 

そしてこの地に伝わる病気回復の奇祭

 

無生野の大念仏

 

病人のベットの上を刀を持った祈祷師が飛び跳ねます

 

国の重要無形文化財や

 

ユネスコの無形文化遺産にもなっています

 

無生野 | 山梨デザインアーカイブ

 

これは出産時の雛鶴姫と

 

出産介助方法が分からないお供の兵隊の

 

慌てっぷりを模したものとも言われています

 

そしてこの地にモニュメントとして

 

雛鶴神社が建ちました・・・

 

 

今の私達と天皇家との関係とは

 

同列に考える事は出来ませんが

 

天皇陛下の娘(内親王なんて言います)と

 

孫(親王)が鎌倉→戸塚→宮ケ瀬→無生野

 

夫と共に故郷に帰ろうとして志半ばでこの地で息絶える・・・

 

今の皇室御一家からは想像できない扱われ方ですよね

 

どんな思いで夫の生首を持って

 

 

故郷に帰ろうとし

 

ここまで旅をして来たのか?

 

今の私たちの生活を作り上げてくれた先人の

 

数奇な運命を思い

 

この地に来て手を合わせてみるのも

 

面白いツーリングかもしれませんね

 

 

ロッシ「今新幹線の新神戸、都留からの帰り道、和田峠経由で帰ったらしいよ、5連休で3回も和田峠登ったらしい、中央高速はもちろん国道20号線も渋滞、檜原街道も秋川で必ず混むからね」