注意:今日の記事は一応スフィアの話と絡めてますが半分以上が気持ち悪い自分語りです
プラニスフィアの豊崎愛生×戸松遥の対談を読んでいて改めて思ったのですが、二人とも周りに何を期待されているかとか自分の立ち位置や役目を感じ取るのが上手くて、周りの人や環境への適用力がすごく高いように思います。
そして自画自賛のようで誠に恐縮なのですが、私もそういうところで似た部分がありました。
過去形で書いたのは、今現在の私(特に趣味のフィールドで)は自分がやりたいことやりたくない事に正直なので、むしろ「適用力低いだろ」とか「もっと周りに合わせろ」と怒られそうです。
小~高校生くらいまでは、自分がどうしたいよりも周りがどうだから自分はこれをやろうというような考え方をしていて、周りがやりたがらないことを引き受けることが多かったり家庭でも学校でも八方美人なところがありました。
周りに合わせるのが自然体でそれが苦ではないのですが、「どこに居ても自分を出していない」感じや「自分が本当はどうしたいのか分からない」と感じるところがありました。
今現在でもそういう自分が完全に居なくなったわけではないので、「CHEEKY/豊崎愛生」と「明日色ひまわり/戸松遥」の歌詞にはそういう少し負の方向で気持ちを重ねられるところがあり思い入れがあります。
また、良いところだけでなく、短所や普段表に出さない部分も含めて愛おしく思えるとより愛情が深まるので2重の意味で思い入れがあります。
何がいいたいのかよく分からない文章を深夜テンションで書いてしまったのですが、結局何が言いたいのか一行でまとめると
『CHEEKY』と『明日色ひまわり』という曲が好きだ!