FRESH AS a DAISY -2ページ目

FRESH AS a DAISY

いつかは日向にいきたいわたしが、いまみているもの。きいたこと。

モラトリアム。ホラとリアル。

きりこは鏡をみても、
なんでじぶんがぶすといわれたのか、
どうしてもわかりませんでした。
自分をきりことしてしかみていなかったから。

すずこちゃんはすずこちゃんだし、
みさちゃんはみさちゃん。
それ以外のなにものでもない。
ぶすでもびじんでもない。

それは一見当たり前なのだけど、
だれかの存在を意識しながら行きて行くこの世界では
あまりにも難しいことのように感じます。

だけどそんな風になれたらいいなって思えます。

おまめおまめ
その一瞬の動きを探りながら得ようとするなにかがあるような気がして
わたしはその一瞬一瞬で、自分を超えたなにかを探ろうとしているのではないかと悲しくなった。

ステージの床に映し出された横の線とフレームと定期的に鳴る時計の音が、定まったリズムや決まりなら
ダンサーの動きとリアルの車の音はその中で探っていく日常
劇場の中ではそれが劇的であるけれど、劇的なそれは日常
みたいなかんかく。

リアルな車の音と客席は、一体のモノのような感覚もあった。

あっとゆうますぎてびっくりした。
ぜったい私の中で眠くなっちゃう系にカテゴライズされると思ってみにいったけど、
微塵も感じぬ眠気w
絶妙なバランスに感激。

みくにさんの時よりは柔らかく
だけど、ちゃんと、かくじつに、苦しくなった。
(わたしの中でくるしくなった作品は好きな作品。ドMかっw)


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維新派。はじめて。

祭りの広場に入った瞬間、そこに流れる風景が、あまりにも劇的で、ドキドキした。
池袋を走る電車は、こんなにも多いのか。と感じた。
今度これる時は、どこからみようか考えた。メトロポリタン駐車場?河合塾?いろいろスポットはありそう。
ずっとスモークがでていたけど、風で流れていっていた。
最初、個性を消すために、パフォーマーたちは同じ格好で白塗りなのかとおもったけれど、
それでも個性がどんどん出てきて。むしろ誇張されていて、ああ、そのための白塗りなのか。と思った。
パフォーマンスも、マスゲームとゆうには不揃いな、でも同じリズムを刻もうとしている、残している感じがよかったんだと思う。

とにかく、場所がとってもよかった。
描かれる風景もわかりやすくて、
妙なイントネーションもわざとの関西弁だとわかって、
それぞれのセクションのタイトルをみて、
とってもしっくりきた。

あのビルの上からどう見えていたのか、とても気になる。

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体が身体になってゆく
その感じをまじまじ
目の前で
身体の音がする

すげぇ





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生まれてはじめて福島県に行ってきました。
あの時なにをしていた。なんで行かないのか。なんで行くのか。あれから5ヶ月たった今も繰り返される話題です。5ヶ月間で、なんどもなんども考えては悩みを繰り返した話題です。

いってみたらどってことなかった。
もしかしたらなにかがどうにかなっちゃってるのかもしれないけど。

福島の原発への近さはまじまじと感じた。
いってよかった。
この時にいってよかった。
もしかしたら明日の私にとってはよくなかったのかもしれないけれど。


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