やればできると思えばできる。
「やればできると思えばできる」
富士登山はまさにその言葉とおり、登れる!登るんだ!
と思ったからこそ、3度も登頂することができたのだと思います。
「やればできると思えばできる」
じつは、この言葉は幼稚園児の書いた言葉なのです。
すごいですね。感動しましたよ、おばちゃんは(笑)
毎日届くメルマガ→★ に、心に響くお話がありましたので、
ご紹介させていただきます。
※ちょっと長いです※
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天野優子(一廣学園 風の谷幼稚園園長)
いま、入園児募集の際に受ける質問の多くは、
次のようなものです。
「スクールバスはありますか」
「給食はありますか」
「預かり保育はありますか」
問われているのは教育の中身ではありません。
子育てを人まかせにし、自分たちの負担を
少しでも減らしたいという感じのものが多いのです。
いまから八年前、五十歳を過ぎていた主婦の私が、
三億円の借金をして立ち上げた風の谷幼稚園。
設立の動機は、人が人として育っていきようがない、
そんな幼児教育の現状に、強い危機感を覚えたからです。
子どもたちに「誇りをもって生きていってほしい」と
いうのは私たちの願いです。
幼稚園を始めた頃のこと。
年長児に、小さい子の面倒を見てほしいと頼んだら、
「なんで俺たちがしなきゃいけないの?
こっちだってしたいことがあるのに」
といわれ、強いショックを受けました。
ところがその彼らに、嫌々ながらであれ
面倒を見てもらった子たちが年長になった時のことです。
幼稚園から一キロ余りある尾根道を伝っていくと、
広い芋畑に着きます。
子どもたちはその芋を掘りたいだけ掘ってよいのですが、
全部自分で持ち帰ることが約束事。
年長児は皆、体重の半分もある芋を背負っているにもかかわらず、
年少児の手をちゃんと引いて帰ってくるではないですか。
理由を聞いてみると、
「これまで自分たちがしてもらったから」。
これは私にとって、目から鱗が落ちる体験でした。
つまり、人は自分がしてもらったことを決して忘れず、
その受けた行為を必ず誰かに返していくものなのです。
大切なのは、それを言葉ではなく、
具体的な行為を通して体験させていくということです。
私は、人は白紙の状態で生まれてくるものだと考えています。
子どもたちはその状態に、周りから
さまざまなものを吸い取って色をつけていきます。
赤ちゃんの時から始まる、
快、不快を中心とした「感覚」。
その感覚が点で集まっていき、感性が形成されていく。
次にその感性が、価値観へとつながり、
やがては人生観をつくっていく。
だからこそ、その基となる「感覚」の部分に、
どんなよい情報や体験をインプットさせるのか、
それを丹念にやろうと考えているのです。
それではもう一つ、木工作を例に挙げてみましょう。
子どもたちには三歳の時から金づちと釘を使わせ、
車などの遊び道具を作らせます。
当然初めはうまくいきません。
釘が曲がってしまったり、板からはみ出てしまったり。
そんな時は「釘を抜けば、また打てるんだよ」と声をかける。
それで穴ぼこだらけになったなら、板をひっくり返せばいい。
おかげで、風の谷幼稚園の子どもたちの中には
「失敗」という言葉がありません。
そうやってうまくいかなかった時に、
まだ可能性があるはずだ、何かいい方法があるはずだと
発想できる力を身につけることが、
生きる上で大切になってくるのです。
だから縄跳びでも、体の未発達な四歳の時期に
あえて「できない」という事実にぶつけさせ、
課題をクリアするための方法を分析させます。
以前、子どもたちにカルタ作りをさせたところ、
こんな読み札を作った子がいました。
「やればできると思えばできる」
皆より体も小さく、つまずきながら進んできた子でしたが、
私はそれを見て、もう卒園したっていいよと思いました。
それさえ分かっていればどこへ行っても大丈夫。
幼児期とはそうした経験の積み重ねの中から、
揺るがない自己をつくっていく期間でもあるのです。
冒頭にも触れた、上の世代から伝わってくるもののなさ。
人間は、人間が愛情を持って育てない限り、
ちゃんとした人間にはなれないものなのです。
『致知』2005年11月号「致知随想」
※肩書きは『致知』掲載当時のものです
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今日、世界中の人の願いや祈りが、どうか現実になりますように。
「やればできると思えばできる」
日本はこれから、だと思います。
