祝いの席で詠う唄。 | 福見荘

祝いの席で詠う唄。

3.11以降。
日本人としての誇りを、
改めて感じている人は少なくないと思う。


暴動化もせず、略奪も起きず、
整然と行列をつくり、お金を払う。

通行する人のジャマにならぬよう、端によって
電車が動くまで列をつくって待ち続けるサラリーマンの姿を見て、
中国の人は、とても感動したらしい。

50年経っても我々にはできない、誠実な国民性。


今回、知り合いが東北に行って、
いちばん感動したと言っていたのは、東北の人の謙虚さだという。

食料や日用品を持っていったら、
「うちよりもこの先の人のほうが、困っているから」と。


次の場所に持っていくと、「うちよりも、もっと困っている人がいるから」と。

でも、最初の人たちも、電気や水道が止まっていて、
お風呂にも入れなくて、食べ物も一握りの限られたものだけ、だったそうだ。




そんなとき、国歌のことを書いた記事を思い出した。
昨年、直木賞作家 長部日出男さんが書かれていた。

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僕が世界に誇れる日本美として揚げたいものの一つが『君が代』である。
『君が代』を長い間、軍国主義の象徴のように捉えてきたが、
調べるを進めるに従って、決してそうではないことが分かってきた。

『君が代』の期限をたどると、その最も古い形は、
『古今和歌集』の賀歌(祝賀の際に歌う歌)のはじめに、
「題しらず よみ人しらず」として揚げられた次の歌であるという。

「我君はちよにやちよにさざれいしの巌と成て苔のむすまで」

「よみ人しらず」というのは本書が編まれるそのずっと以前から
人々の間に歌い継がれてきたわけで、
ざっと千二百年ぐらい前の歌と考えられるだろう。

江戸時代になると
「君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで」
という歌詞になり、「君」は婚礼では新郎を指すなど、
祝賀の宴の主賓に向けられた寿歌として広く庶民に歌われてきた。

『君が代』の奥深い響きに接するたび、
身が引き締まるような粛然とした感動を覚えるようになった---
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日本には、誇れるものがたくさんある。
日本人として、誇れるものがたくさんある。

ここ2ヶ月ばかり、素晴らしいと思える行動の人をたくさん見かけた。

日本に生まれてきてよかった、と
多くの人が思える世の中になりますように。

photo:01

(以前、お客さまからいただいたお菓子)



今日はめずらしくマジメなお話でした。


これから久しぶりに相方とこじゃれたお店でランチです。

良いお天気なので、散歩しながら行こうかな。