日本経済の凋落(ちょうらく)が続いている。2023年には人口が日本の3分の2のドイツと55年ぶりに国内総生産(GDP)が逆転した。25年にはインドにも抜かれ、日本経済は世界5位となる見通しだ。
私たちの生活水準に密接な関係を持つ1人あたりGDPの順位低下はさらに劇的だ。00年には名目ベースでルクセンブルクに次ぎ世界2位だったが、10年に18位、21年には28位まで転落した。購買力平価ベースでは世界38位だ。アジアでもシンガポール(2位)、台湾(12位)、韓国(30位)に遠く及ばない。
1人あたりGDPの水準を決めるのは、人口や人口の変化率ではない。労働者一人ひとりにどれだけの資本ストックが装備されているかを表す「資本・労働比率」と全要素生産性(TFP)だ。資本・労働比率の高低は、工事現場でクレーンやブルドーザーを使い働いているか、それとも1人1本のシャベルやツルハシで働いているかの違いに相当する。全要素生産性の上昇は、ハード・ソフト両面を含む広い意味での技術進歩によりもたらされるが、イノベーション(技術革新)と言い換えてもよい。
資本ストックの増強も多くの場合、新しい製品や品質改良、あるいは生産工程における生産性向上を伴うから、全要素生産性の上昇と同様にイノベーションの成果といえる。結局1人あたりGDPの上昇をもたらすのはイノベーションだ。失われた30年といわれる日本経済の停滞はイノベーションの欠如が原因である。
日本でイノベーションが振るわなかったのは人口の減少が原因であり仕方がないとの指摘があるが、イノベーションの本質を理解しない誤った考え方だ。イノベーションというコンセプトを経済学の中に定着させたシュンペーターは、それがどこまでも「ミクロ」であることを強調した。イノベーションの担い手は、マスとしての人口を相手にしていないのだ。
例えば新しい時代を切り開いた米国のハイテク企業4社(GAFA)の時価総額は12年から22年にかけて385%上昇したが、この間の米国の人口増加はわずか6.2%だ。人口とイノベーションは別物である。
経済協力開発機構(OECD)諸国についてみると、世界知的所有権機関(WIPO)が公表するグローバル・イノベーション・インデックス(GII)と各国の人口増加率との間には相関関係がない(図参照)。OECDに加盟していない途上国の場合にはむしろ明確な負の関係、すなわち人口増加率が低い、あるいは減少している国の方がイノベーションが活発であるという傾向がみられる。
イノベーションはどこまでもミクロで、マクロの人口動態と直接の関係はない。日本経済の将来を考えるとき、人口減少を言い訳にしてはいけない。民間企業がミクロレベルでイノベーションを行うことが重要だ。「もう買うものがなくなった」との声も聞かれる。既成のプロダクトへの需要が飽和点に達したということだが、それは飽和点を打ち破るための新しいプロダクトの創造の夜明け前ということだ。実際、多くの企業で新しいプロダクトの開発が進められている。こうした成果が1人あたりGDPの向上につながるのだ。
1707年創業で、伊勢神宮土産の定番として名高い「赤福餅」を手掛ける老舗和菓子店は、数年前から消費者の嗜好の変化に対応すべく新しい洋菓子を開発している。これはまさにイノベーションだが、その背景には人口の減少とは別の「時代の変化」がある。
ある漁網メーカーでは需要が落ち込むなか、サッカーのゴールネットの品質向上に力を注ぎ、漁網づくりの技術を使い六角形のネットを開発した。ゴールの瞬間、ボールが一瞬止まったように見える効果を劇的に演出することに成功した。
あるアルコール飲料メーカーは、缶ビールの蓋を開けた瞬間にキメ細かい泡が吹き出て、ジョッキで飲む生ビールのような風味を味わえる製品を開発した。「泡を出さない」缶ビールから「泡を出す」缶ビールへと発想が転換され、缶内側の加工方法の変更など新しい工夫が集積された結果だ。
日本で生じている人口減少はそれ自体が省力化のイノベーションを促すことは間違いないし、そうした例は数多くみられる。今後人口減少が加速するなか、こうした省力化のためのイノベーションの必要性は一層高まると考えられる。
さらに高齢者の増加に対しては、高齢者特有の財・サービスの提供のほかに、介護のためのハイテク技術の活用などが求められる。現にそうした活用は広がっているし今後利用の余地は広がっていく。1つや2つのイノベーションでは済まない。日本が抱える人口減少や高齢化という課題は、イノベーションを生みだす素地になっている。