家族の電話番号、覚えてる?

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スマホは主人のと自分のだけ知っています。

固定電話はだいたい知っています。

 

 

 

 
主人の内科予約日で二ヶ月に一度の診察に付き添いました。
8時半に家を出ました。
主人は自分の事なのに私に頼りっきりで
どうしようもないです。
優しい先生も分かっていて私に話します。
補聴器もちゃんと付けているのに聴く耳を持たないから
聞こえないのだと思います。
血液検査も血管が中々出なくて毎回大変、
看護師さんが困っていましたが、やっと採血出来ました。
血圧も大分正常に近く落ち着いているので
今回から1粒減らす事になったのですが、
先生が今迄通りの処方箋を出したので薬局から電話が入り、
家まで取り換えに来るというので、午後から友達を
歯医者へ送り、同じ方向なので取りに行く事にして
出掛けました。
 
昼食はお取り寄せのエビチリと作り置きと
ツナサラダ、海苔で済ませました。
味噌汁は要らないというので止めました。
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友達がイオンに注文していた靴が入荷したという
電話が道中に入り帰りに寄り、色々見て回りましたが
他に買う物も無かったのでミスタードーナツで
コーヒーを飲んで帰宅しました。
 
 
 
 
 

バッタさんが青じその葉に

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今朝の新聞から

 

張本勲さんの右手の薬指と小指はかなり短く、

癒着しているそうだ。4歳の時、たき火に手を突っ込んでしまい、

やけどした。右利きなのに後に左で投げるようになる。

 

プロ野球の東映(現日本ハム)に入り新人王になったオフに

広島の実家で食卓を囲み「右手が普通じゃったら、

もっと打てたんじゃが」と何げなく言ったら、

母の順分さんは私がちゃんと見てあげていたら」と泣いた。

自分の不注意のせいだと母が苦しんでいるのを見て

口にしたことを後悔。後にNHKに右手を撮りたい

と頼まれた時も断ったという。

 

通算3085安打の張本さんが旅立った。

両親は韓国出身。父は所用で戻った韓国で早世し、

広島に残った母は4人の子を養う。

 

やけどの時も病院から戻るとチョゴリを破ってぬらし一晩中、

患部を冷やしてくれた。

被爆は翌年。張本さんの6歳上の姉が全身焼けただれて

家に運ばれ、何日かたって息絶えると母は大声で泣いた。

 

6畳一間の貧困から脱したいと野球の道を究める息子は

現役引退後、時に「喝!」と叫び本音で解説したが、

厳しくも優しかった。痛みや悲しみを知り、

情の厚い母の影響もあったのかもしれない。

 

1980年に3千安打を達成した時、母は球場で観戦。

翌朝4時までの後援会の祝いの会もずっと起きていて

喜んでいたそうで、数年後に亡くなった。

自慢の息子を天で迎えたのだろう。

 

 

お立ち寄り頂きありがとうございます。

素敵な週末をお過ごし下さい。

おやすみなさい。