眼科予約日のため早起きで家事を済ませ

7時半には娘が迎えに来てくれて、

出掛けました。

 

8時半予約でこんなに早い予約は初めてなので、

直ぐに病院へ入れるものと思ったら、

8時15分に開くらしく炎天下に長い列でした。

 

私は20分位待っただけでしたが皆さんは

毎日早くから並ぶんだなと思いました。

予約でしたので時間通りに眼圧、視力、視野の検査を

してくれました、先月は眼圧が少し高く心配でしたが、

今日は正常で視力も良かったので安心しました。

視野の検査がとても疲れて大嫌いです。

肩に力が入って頭まで痛くなってきます。

夕方になっても両肩が凝っています。

 

いつも使っているノーファンデが終わりそうなので

ドラッグストアーに寄って貰い買い、その後に

ニトリにも行きトイレマットなど買い、

スシローで昼食を済ませました。

 

婿が昨日から2泊で出張だと言うので

夕食は二人で食べて帰ろうねと約束していたのに、

婿からLINEが入り用事が早めに終わりそうなので

夕方7時頃帰るとの事、もう一日のんびりしようと

思ったのに残念と娘は言っていました。

 

その気持ち分かる分かる、私も若い頃

主人が京都や大阪へ出張と言うと何だか嬉しくて

子ども達と3人でレストランに行き楽しい時間を

過したことを思い出します。

今でも息子がその思い出を話します。

余程嬉しかったのでしょうね。

 

今日も疲れたので帰宅後は少し自室にこもり

夕飯は主人は適当に食べてくれたので

助かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝の新聞から

 

「国が認めないなら、腹を切る」。

平成期の1990年代に火山活動が数年続き、

40人を超す死者が出た雲仙・普賢岳の災害対応で

国に被災者補償を求めた当時の長崎県島原市長、

鐘ケ江管一さんはそう思い詰め、実際に口にしたという。

県幹部が飛んできて、冷静になってくれと言われたと

自著『普賢、鳴り止まず』で明かしている。

 

火砕流の恐れがあるとして、法に基づき立ち入りを禁じる

「警戒区域」を全国で初めて住宅密集地に設けた。

悩んだ末の決断だったという。

 

入るなと命じておいて補償ががないのは

あり得ないと思ったが、災害は自主再建が原則と言う

国との交渉は難航。望んだ特別立法による

救済はならなかったが、熱意は実を結び、

国が財政的に支援する基金がつくられ、

個々の被災者への援助に使われた。

 

鐘ケ江さんが亡くなった。住民避難が長引く中、

山が鎮まるまでひげはそらないと宣言した

「ひげの市長」である。

 

当時の天皇陛下が島原を見舞い、ひざをついて

被災者と話され、その目線の低さに世は驚いたが、

その際に案内したのが鐘ケ江さんら。日本の災害史で、

今後も名前が語り継がれる政治家の一人なのだろう。

 

ひげは市長退任後にそったが、40人を超す犠牲者を

出したことは死ぬまで頭から離れないだろうし

十字架は一生背負っていくと先の本に書いていた。

心はようやく穏やかになったろうか。

 

 

お立ち寄り頂きありがとうございます。

明日もいい日でありますように!

おやすみなさい。