今日も酷い雨が降ったり止んだりでした。

朝カーテンを開けるとベランダの黄色の

花々が目に入る。

朝から元気を貰ったような気持ちになる。

 

ゴーヤ

 

ズッキーニ

 

これもズッキーニ

 

 

今日は孫の歯科検診で歯医者へ送り迎えして、

丁度お昼時で朝から何も食べていない、

お腹ペコペコと言うのでランチして

何処にも寄らず帰りました。

 

 

主人には焼きそばを作って行きました。

 

娘が出先から帰っていたので車庫には

車2台入っていて裏の車庫に止めて寄って

行こうと思い車庫入れしても上手に

入れられなくてピーピー車がうるさいので、

面倒になり帰宅して車庫入れが上手く出来ないので、

帰って来ちゃいましたと電話すると、

 

娘がそうだったのと言うので、最近車庫入れも

曲がったり思うようにいかないので、

嫌になってきたというとダメだよもう少し

頑張らないと一人で行きたい所へも

行けなくなると不便になるよと言われました。

 

それはそうだけれど何か自信がなくなり、

娘にばかり頼っているのでやる気が

無くなって来ました。

 

娘がさつま芋をくれたので鬼饅頭を作りました。

お向かいの友達に大豆のおつまみも作ったので

持って行き夕食に食べると言って喜ばれました。

 

 

 

昔買った本が出て来たので

少しストレッチしました。

グロリオサ色々

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝の新聞から

 

作家の水上勉が奥能登の紀行文を残している。

輪島に着き、富士屋という宿を訪ね、

2階の部屋に通され外を眺めると露地を挟んで

人家がひしめきあっていた。

 

その一軒の2階の部屋では、60歳近くに見える夫婦が、

鳥の羽毛のようなもので木片を一心に拭いている。

 

輪島塗の下地を作る「木地屋さん」だと

旅館の人に教わる。

〈きけば、輪島には、この種のうす暗い二階で仕事を

する木地屋とか、沈金とか、蒔絵師や大工などが

無数にあるということであった〉。

 

郷土史に詳しい地元の藤平朝雄さんによると

富士屋は廃業して久しい。

場所は朝市通り近く。水上が見た風景は、

先の能登半島地震の火災で焼けた朝市通り周辺の

ありし日の姿らしい。

 

多くの輪島塗職人も被災した地震の発生から半年。

朝市通りに近い自宅兼工房が焼けた40代夫婦が、

仮設住宅で仕事を再開した話を最近の記事で読んだ。

 

輪島塗の木の加工、塗りなど全ての作業を担う夫婦。

各工程の分業が一般的な輪島では珍しい。

道具も焼けたが、各地の元職人らが譲ってくれた。

「先が見えない」と不安を口にしつつ仕事は

「生きがい」と言う。憂えながらも前を向く姿が尊い。

 

水上は黙々と仕事をする木地屋にひかれたらしく、

こう書いている。

〈無心に働いている中老の夫婦の像はいつまでも

頭にのこったのだ〉。

無心の作業が紡いできた伝統は途切れまい。

 

 

お立ち寄り頂きありがとうございます。

明日もいい日でありますように!

おやすみなさい。