あなたのお父さんはどんな人?

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あなたのお父さんはどんな人?
 
父親は71歳で亡くなりました。
私はすでに父親の年を越えました。
 
父親は5月生まれ神経質で几帳面な人でした。
国鉄職員で3駅の駅長をして、
定年時は地元の駅長で終わりました。
 
国鉄時代はダイヤ改正時には手書きで
ダイヤを書いていました。
一瞬たりとも油断が出来ない仕事で、
大きな座卓に図面を広げて書いている
傍を通っただけでも怒られたことを
想い出します。
 
真面目な人で今日すべきことは
明日に伸ばすなと言われ育てられました。
お陰でそのような事は受け、守っているつもりです。
 
子供の教育には熱心な人で、
賞を貰ったり成績が少しでも上がると
喜んでくれて褒め上手な人でした。
 
 
 
 
 
 
仙台の息子から父の日のプレゼントが届きました。
 
おやつ
 
娘家族と少し足を延ばして遠くの
イオンモールへ行きました。
着いた時には昼過ぎだったので、
日曜日とあって駐車場が混んでいて、
地下も見事に入るところが無く屋上に行き
やっと入ることが出来ました。
 
娘から主人に洋服でも買ってあげたいと言うと、
何も要らないと言い、お寿司でいいとの事。
お寿司と靴下、シャツをプレゼントしてもらう。
 
ZARAなど見て歩いたけれど、娘も私も
気に入る者が無く何も買わない。
殆ど孫達の洋服を見て回り欲しい物ばかりで、
色々買って来ました。
 
ランチしてスタバでお茶して
スーパーに寄り食材を買い帰宅。
image
 
又写真のリサイズアプリが途中で不具合になり
出来なくなりました。
 
 
今朝の新聞から
 
1945年8月、終戦の玉音放送に人々は
何を思いながら耳を澄ませていたか。
戦争に負けた悲しさ、将来への不安。
14歳の少女は玉音放送を聞きながら別のことを
考えていた。「女優になろう」ー。
 
戦後の日本映画に大きな輝きを残した俳優の
久我美子さんが亡くなった。93歳。
戦争中は勤労動員で風船爆弾を作っていた。
 
戦争さえ終われば世の中の価値観が大きく変わるはず。
「これで女優になれると思った」(川本三郎著『君美しく』)
 
終戦の翌年に東宝のニューフェイスに合格。
華族出身で映画界入りは親の強い反対を押し切っての
ものだった。終戦の日の決意や映画界入りの経緯に
小津安二郎監督の『彼岸花』(58年)の一場面を
思い出す。
 
久我さん演じる若い女性の文子は父親(笠智衆)に逆らい、
家を飛び出し、ピアノ弾きの男と暮らしている。
父親の友人(佐分利信)の説得にも耳を貸さない。
「心配なんかしてもらわなくていいんです」。
 
親や家とは無関係に自分の手で幸せを
つかもうとする女性。かれんな印象もある俳優だが、
戦後の新時代にふさわしい理知的でしっかりした女性の
役柄がよく似合った。
 
久我さんといえば『また逢う日まで』(50年)の
ガラス越しのキスシーンか。なんでも口づけするのが
ためらわれるほどガラスが汚かったそうだ。
汚れたガラスは映画史に残る美しいシーンをこしらえた。
 
 
 
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