こどもの頃、夢中になった本は?

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こどもの頃、夢中になった本は?
 
小学低学年だったと思いますが、
誕生日プレゼントで本を買ってもらい、
今でも覚えているくらいなので、
相当嬉しかったのだろうと思う。
「感心な子偉い人」という題名でした。
 
もうひとつ子供の頃から植物が大好きで
朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルになった
「牧野富太郎博士」の分厚い植物図鑑が
書棚にあり、夏休みの宿題はいつも
植物採集をして図鑑で調べて作ったことを
想い出します。
 
今朝のお月様と空
 
 
 
 
今日は良いお天気でしたが午後には
曇り空になって来ました。
全国で入学式や入社式が行われたようです。
 
孫娘も入学式で最寄りの駅まで送りました。
桜の花も開き始め良いお天気に恵まれて、
良き日となりました。
 
自動車学校も夜しか行けなくなり、
後少しで卒業検定だと言っていました。
 
昨日は高速道路を1区間練習走行したようで、
100㌔で走り怖くなかったと言っていました。
私は今では怖くて高速を走れないので、
ついに孫に負けてしまいました。
 
 
パン・ド・ミ ブドウ入り食パン焼きました。
 
昼食は冷蔵庫にあるもの消費で
ヘルシーな献立です、茄子、ピーマン、スナップエンドウの
味噌炒め、カボチャ煮、ほうれん草の胡麻和え。
茶わん蒸しは舞茸、海老、カニカマ、エンドウ
 
 
 
 
 
 
昨日買って来たユスラウメと紫陽花
紫陽花
 
 
 
今朝の新聞から
 
旧満州で鉄道経営に携わった十河信二(そごう)は
昭和30年、71歳で国鉄総裁に就き、
東海道新幹線建設に道筋をつけた。
 
工費は安くなく計画当時、戦艦大和、万里の長城、
ピラミッドと並ぶ愚挙とも評された。
国鉄内には「夢物語」と冷淡な空気が漂い、
政治家も選挙区への在来線延伸に熱心だった。
 
十河は国鉄の各職場を回って新幹線を造ろうと
訴えた。岸信介、河野一郎、佐藤栄作ら
政界要人を説得した。
 
国鉄総裁就任時に「残される愛するものへ」と
遺書をしたため、新幹線は国にとり
「明治以来の夢なり 夢は生命なり」と
書いていたという(牧久『不屈の春雷 十河信二と
その時代』)
 
後進の苦戦に天上で何を思っているのか。
JR東海がリニア中央新幹線品川ー名古屋間の
2027年開業の断念を表明した。
 
川勝平太静岡県知事が県内着工を認めておらず、
開業は早くて34年以降らしい。
 
27年開業は困難と察していたが、実際に10年以上先と
聞くとずいぶん先だなと感じる。
 
大井川の水減少や南アルプスの環境への影響を
懸念する知事が着工容認に転ずる気配はない。
 
昭和と時代が違うとはいえ、信念の人だった十河なら
何か知恵を出せるだろうかと考えてしまう。
 
十河の座右の銘は大陸と縁があった人らしく
中国語の「有法子」だった。
「没法子」(しかたない)の反対で、
打開策はあるとの意という。
リニアもそうだろうか。
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「今朝の新聞から」を読んでいて、
祖父の事を想い出しました。
 
母は三姉妹でした、私の祖父を始め
母の三姉妹の夫その子供も国鉄、JR勤務でした。
姉の息子も先日定年退職しました。
 
祖父は国鉄時代地元の三島を離れ、
色々な所の駅長をして来ました。
 
昭和25年に62歳の若さで病死しました。
私は幼くて祖父の顏は覚えていませんが、
後に写真で知りました。
母がいつも祖父の事を話してくれて、
家族を愛し大好きな父だったと
自慢していました。
 
 
 
 
 
ある日家族でお墓参りに行き実家に立ち寄り、
祖父の遺した大切な宝物、国鉄時代の足跡、
 
段ボールに詰められた膨大な数の新聞の切り抜きに、
皆で見入り国鉄を退職したら、ゆっくり記事に目を通し、
自分の人生を一歩一歩かみしめながら、
旅したかったのであろうと、祖父の足跡を
何らかの形で遺しておきたい気持ちにかられたのです。
 
国鉄一筋に生きた祖父の姿を我々のこれからの
生きる指標にしたいと、兄が勤務先の
学校の夏休みを利用して一冊にまとめて
作ってくれました。
 
今日は時間があったのでゆっくり読み返して
みました、これからは新幹線のような交通機関も
発達するだろうと書いて有り驚きました。
今の新幹線の発達をみたらどのように
思うだろうと考えながら、
今は亡き父母、兄を偲びながら
懐かしい日々を思い返しました。
 
 
お立ち寄り頂きありがとうございます。
明日も穏やかな一日でありますように!
おやすみなさい。