今朝咲きました。

 

 

外出するため、主人の昼食を用意、

手っ取り早く出来る、お好み焼きを

作って出かけました。

 

 

 

 

 

 

今日は友達の病院へお供しました。

先ず眼科へ行き、街中に住んでいる姉の家で

1時間ほど待たせてもらい、終わったと

連絡があり迎えに行き、次が耳鼻科へ、

そこは30分位で終わりなので駐車場で

待っていました。

次はご主人が施設に入っていて、

高熱が出て救急車で大きな病院へ運ばれて

10日くらいになり、10分間の家族だけの

面会の許可が出たので、

病院へ送り駐車場で待ちました。

もう誰だか分からなくなり、声を掛けても

「おー」というだけで、握手しても、

握り返す力もないようです。

直ぐ眠くなって寝てしまうそうです。

 

食べ物は水を飲んでもむせてしまうので、

食べれなくて、点滴で栄養をとっているそうです。

前回私も一緒に面会に行った時は元気で、

迎えてくれたのに、一気に悪くなって

しまいました。

友達が我が家で倒れて救急車で運ばれたのが、

去年の8月、それからご主人は施設に入り

段々元気がなくなり、今に至ったのです。

話を聞いているだけで辛くなります。

*************

 

姉の家で待っている間に姉が

書き綴った朝日新聞の天声人語

書き写しノートが今年の11月で

丸10年という事で見せてくれました。

 

今使用しているノートが100冊目だそうです。

私も勧められて一時主人と始めましたが、

続きませんでした。

 

高齢で目も悪くなり、書くのも1時間弱

かかるようになったそうです。

 

そこで私はブログを始めてから、

「今朝の新聞から」と綴るようにしました。

私はパソコンで打つので短時間で済むので

苦になりません。

その間使った鉛筆が補助軸を使い

こんなに短くなる迄書けたそうです。

 

毎日10年間続けることは大変な事だと

感心しますが、当人はもう一日の

ルーティンになっていて、書かないと、

何か忘れ物をしたような気持ちで

落ち着かないようです。

 

書いていると難しい字も覚え、

外国語の分からない事はどういう意味だろうと

調べて忘れてしまうのでノートに

書いているようです。

すぐ忘れてしまうと言っていました。

私もそうなので、無理ないと思います。

 

以前は般若心経を何十冊も書いていました。

 

*****************

 

お昼時になり友達とランチしました。

 

 

エコたわしひとつ出来ました。

二つ目渦巻エコたわしも、もう直ぐ編み終わります。

 

 

 

 

 

 

 

今夜の空とお月様

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝の新聞から

 

日航ジャンボ機墜落事故の発生は

1985年8月12日。夜、機体が管制のレーダーから

消えたとの一報が伝わった。

 

行方が判然としないうちに500人超えの搭乗者名簿が

公開され、NHKは朗読を始めた。

生放送中、日航社長会見が始まるとの

情報が伝わり、名簿を読むアナウンサーが会見への

映像切り替えを提案すると、仕切り役のキャスター

木村太郎さんが「いや、乗客名簿を続けてください」と

拒んだ話は有名。

 

視聴者が知りたいのは、運命が絶望的と思われる

飛行機の客の名前だという判断である。

 

時は移り、個人情報保護が求められる今は

事故時の名簿朗読は難しそう。

日航は搭乗者名簿は原則、非公開という。

 

石川県が能登半島地震の犠牲者のうち遺族の

同意が得られた人の氏名、年齢などの公表を始めた。

死という事実を知り、涙する友らもいよう。

 

亡くなった92歳の母親の名の公表を決めた女性は

家も失い「今残せるのは母の名前だけかもしれない」と

語った。

その思いに、伝える側の一人として粛然とする。

 

誰しも誕生後の名付けは赤子である自分の力が及ばず、

親らの仕事になる。

『日本民族大辞典』によると、子の守護や

他家との紐帯のため、親族以外が名付ける例も

古来あり産婆、僧侶、神官、山伏、村の有力者、

道で偶然擦れ違った人も託されたという。

名前は個人情報にして、独りではない証左でもある。

 

 

お立ち寄り頂きありがとうございます。

楽しい週末をお過ごしください。

おやすみなさい。