蛇口はこまめに閉めてる?

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蛇口はこまめに閉めてる?
 
こまめとまではいかないけれど
水を無駄にしないように気を付けています。
 
 
 
 
今日は接骨院へ行って来ました。
往復大雨でしたが、昼食後には
止み陽が差して来ました。
 
相変わらず朝だけ痛みがありますが、
だいぶ快方に向かっていると
先生に言われました。
 
晴れて来たので近くの公園まで散歩しました。
桜の花はまだ開いていませんでしたが、
ぷっくりピンクの蕾がふくらんでいました。
 
街路にはユキヤナギなど綺麗に咲いていました。
 
 
 
 
 
 
 
スーパーで水耕栽培のレタスを
売っていたので、買ってメジャーカップに差して
玄関に置き、必要に応じてちぎって
食べています。
 
 
 
 
 
庭の木瓜
 
 
 
娘が孫と名古屋へ行ったので、
お土産です。
夕食を済ませてしまったので、
明日いただきます。
 
 
 
 
 
今朝の新聞から
 
昭和の大横綱、大鵬の故・納谷幸喜さんは
日本統治下の南樺太(現ロシア・サハリン南部)で
生まれた。
 
1945年8月にソ連が侵攻し、母に連れられ
船で北海道に引き揚げた。当時5歳。
南樺太で生き別れた父の記憶はなかったが、
母が大事にしていた写真を見せられ、
ウクライナ生まれと知るのは角界に入ってからという。
 
父の消息を調べた新聞社から、自身が初優勝した
60年まで生きていたとも後に知らされ、驚く。
本人の自伝にあった。
 
父はウクライナのハリコフ州出身で、極東へ移住。
ロシアの革命を嫌って日本に亡命し、
南樺太で日本人の母と結ばれたという。
 
ロシアが侵攻する今のウクライナ。
長野生まれで南樺太に育ち、71年から
ウクライナに住む男性(78)が戦火を逃れて、
北海道の親類宅に避難した。
無事で何よりである。
 
男性は45年の終戦間際には引き揚げられず、
ソ連国籍を取得したという。
 
かつての樺太で運命の変わった人が
いかに多いことか。
 
納谷さんらの引き揚げ船は無事に稚内に着くが、
他の船は魚雷で攻撃され、多くが亡くなった。
自伝に「奇跡的に生きながらえた」とある。
 
在日ウクライナ大使館のサイトによると、
納谷さんは2002年、ハリコフを訪れて、
現地の相撲愛好家らとも交流したという。
 
戦争の過酷さを知る泉下の大横綱は、
父の祖国の今をどれほど悲しんでいることだろう。
 
 
お立ち寄り頂きありがとうございます。
明日も穏やかな一日でありますように。
おやすみなさい。