今朝はどんより曇り空で

気温は20度寒い朝でしたが、

その内に雨が降り出して一日

降っています。

 

 

 

今日でまた一つ年を取りました。

先日断捨離していたら母からの色あせた

誕生日祝いの電報が出て来ました。

 

 

 

 

 

ある年の電報です。

 

当時、私はその年の5月早朝に

酷いめまいに襲われて、

入院したのです。

 

どのように入院したのかも薄っすらとしか

覚えがなく、気が付いたら病院の

ベッドでした。

 

1か月入院して退院の日、娘が車で

迎えに来てくれて、まるでジェットコースターに

乗っているように頭に響き家に着く迄が

苦痛でした。

 

その後も元気になれず、病院に入院

させて欲しいと電話をしても

断られ、まだ若かった娘は

どうしていいか分からず、

泣き崩れていました。

 

後に娘はあのまま死んでしまうのかと

思ったと言っていました。

 

来る日も来る日も頭の中は

渦を巻いているようにグルグルしていて

ついに違う大学病院へ1か月近く入院して、

それでも一向にに元気になれず、

精神が疲れてしまい、

近くの神経内科に長いこと通い

徐々に元気を取り戻すことが出来たのです。

 

母からは毎週のように慰めと励ましの

手紙が届きどれほど救われた

ことでしょう。

 

当時は年を重ねるごとに寂しさを

感じていましたが、毎年母から

心のこもったバースデー電報が

届くのを心待ちにしていたものです。

 

その年も届きました。

母には11人の孫がいて

誕生日には、メッセージと共に

お祝い金を送ってくれていたのですが、

 

次々と社会人となり、これからは、

子供達に生ある限り祝電を送るからねと

言って、これから何通届くかと楽しみに

していたものです。

 

いつも母にお礼の電話をする度に、

来年はもう生きていないからが口癖でした。

 

子供達に迷惑を掛けたくない、

朝起きたら亡くなっていたという死にかたを

したいといつも言っていて、

その通り翌年、家族の留守中、

入浴中にくも膜下出血で84歳の

生涯を閉じたのです。

 

子供にとっては悲しい別れでしたが、

母としては願っていたように

なったのです、亡くなる前日まで、

日記を書き続け沢山の想い出を

残して逝きました。

 

しばらくの間は日記を読んでは

泣いていました。

 

今でも読む事もない日記を捨てられず、

段ボールに入れたまましまってあります。

 

もう電報は届かないのねと母の遺影に

語りかけ、誕生日が来る度に、

想い出していたものです。

 

今は私も二人の孫に毎年色紙に

写真や折り紙を工夫して貼り付け、

メッセージとお小遣いを

プレゼントしています。

 

もう大きくなったので、色紙は

止めてラインとお小遣いにするねと

言ったらやっぱり色紙は欲しいと言うので

今年も二人に作りました。

 

 

娘から花束とラインのメッセージが

届きました、誕生花はグロリオサと言う事で、

私の大好きな花だったので、

とても嬉しかったです。

 

皆と一日でも長くいられるように、

健康に気をつけて生きて行こうと

思います。

 

娘より

 

 

 

 

 

 

主人は外食に行くのが好きでないので、

昼食にスシローでお寿司を買って

質素な誕生日祝いでした。

 

私はあまり食べないので、

主人は夕食も残ったお寿司でいいそうです。

 

 

私が元気になったら、娘がランチに

誘って祝ってくれるようです。

 

友達より

 

82歳の姉より

今年スマホに挑戦してまだまだ

ラインは書くのが未熟でいつも

ひらがなのオンパレードです。

時々ミスだらけで笑わせてくれる

ラインが入ります。

年が年だから許しています。

写メ送信も教えてあげたら覚えて

綺麗な花が咲くと送信してくれます。

大したものだと誉めてあげます。

 

 

中学生の孫より

 

息子より

 

 

 

これはいつも通販で買っている

所から注文した商品に

青汁スティックをプレゼントとして

入っていました。

 

 

 

 

お立ち寄り頂きありがとうございました。

明日も穏やかないい日でありますように!

おやすみなさい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は