「線引き」できなかった一人目は、今から約30年前の昭和58年、私が高校1年生の初夏に現れました。
ある女性タレントの写真集を見て、私はその人に「はまって」しまったのです。
当時はインターネットも携帯メールもない時代、タレントにメッセージを伝える手段は、手書きのファンレターしかありません。
私は、その女性タレントの所属事務所に電話をかけ、ファンレターの宛先を教えてもらいました。
それからというもの、結構な頻度でその方に手紙を書いたのです。
何を書いたか覚えていない、といいたいところですが、断片的には「痛い思い出」として私の頭の中にこびりついています。
随分とひとりよがりな手紙でした。
その方の趣味嗜好がわからないので、手探りでいろんな話題を書きました。
気を引こうと、奇を衒いました。
返事を期待し、毎日学校から帰ると、ポストを覗いていました。
しかし、返事が来ることはありませんでした。
今の私にはその原因がわかりますし、そもそも返事を期待しないでしょう。
どうしても、その方と同じ空気を吸いたくて、冬休みに東京に旅行し、その方の所属事務所をつきとめました。
そんな「熱病」といってもいい時期が1年半くらい続いたと思います。
そのころの自分を振り返って、青かったと思うし、「痛い思い出」として残っています。
そして、そのころの自分を「青かった」といえる今の自分は、大人になったのだと思っていました。
事実、私は、求めてもおよそ手の届かない女性を好きになった場合の感情の処理法を身に付けたと独り合点していました。
「あの人のためにがんばろう」「あの人のために必死に努力して自分を磨こう。そうすれば、あの人にふさわしい人間になれるかもしれない」と思って、やり場のない感情を目先の課題にぶつけ、そこに没頭し、沈潜したのです。
好きな人のために何か努力をしている、という感覚は、快感でもありました。
どこに進むわけではないのですが、何か目指しているものに近づいている、と錯覚することができました。
そのような精神衛生を得つつ、目先の課題をこなす能率が上がるのです。
対処法としては、理想的です。(つづく)