要らないご縁が引っ張るエネルギーって結構大きい。
それは物だったり、人だったり。
不要物を断捨離してスペースを作った途端、
停滞していたことが進むというのは、よく聞くはなし。
私自身も過去に、不要な書類をシュレッドしたら、
進まなかった転職がトントンと進んだという経験もある。
(信じるか信じないかは、みなさまにお任せします 笑)
その断捨離ターゲットが人となると、そう簡単ではない。
私の場合、長年の友人たちだった。
自慢ではないけれど、私は友人を大切にする。
自己犠牲を基本にした環境で育ったので、自分をさておいて人に優しくする経験については
成人前と成人後を合わせて、相当なキャリアがあったから、得意だった。
(いまでも気をつけないと、無意識にしていることがある。)
いまでは、自分が幸せであればあるほど、周りを幸せにすることができることを確信しているから、
素直な気持ちを大切な人ほど伝えるし、
不快なことの場合「こういう方が好みです。」という代替案も伝えている。
けれど時として言葉が通じない時がある。
相手から返ってくる言葉や態度は
「自分は正しい。お前はなんでいうことをきけないんだ。」
「自分に意見をするなんて、お前はなんてひどい人なんだ!」
というようなことだ。
人はみんな違う。
私にはわたしの感じ方、考え方があるし、あなたには貴方の感じ方、考え方がある。
私が体験したいのは、共同創造。
「あなたと私は違う。じゃ、どんな風にクリエーションしていこうか。」
自由な個人が、ひとりでは考えつかなかったことを融合させてクリエーションしていく。
せっかく生まれてきたんだから、この生命を楽しみたい。
綺麗ごとかもしれないけれど、それがわたしの好みだ。
わたしは責められて(いるように勝手に感じて、勝手に)萎縮する人生は、
もう繰り返したくないんだ。
だから、そういう時には自分に問いかける。
「どっちの方が幸せ?」
- いらないエネルギーの重りをつけたまま、新しく体験したい世界を体験する
- いらないエネルギーを切り捨てて、新しく体験したい世界を体験する
一緒に過ごした楽しい時間の思い出があるのも確かだけれど、
私が生きているのは
「今、この瞬間」。
何か行動できるのは、
楽しかった過去ではない。
今、この瞬間。
過去のその時は一緒にいるのが心地よかったけれど、
今は、友人は山にキャンプにいきたくて
、
私は海にいきたい
、というような違いなだけ。
要らない重いエネルギーを終わらせるからこそ
軽やかに始めることができるんだ。

