年末年始。 自分の努力ではどうにもならないこと、できないことがいくつかありました。
例えば、海外への送金。 クリスマスが終わったら、New Year's eve とNew Yearで学校も会社も普通に機能している欧米と日本は違います。
そんなことをきっかけに、「できないことはできない」「やりたくてもできない」ということを感じる機会がありました。
世の中のこと、大抵は努力次第でどうにでもなります。
例えば、わたしは小学生のころ、逆上がりができませんでした。
毎日学校の休み時間と放課後、家に帰ってきてからも家のお子様用の鉄棒で練習をしたりしてました。
手のひらの豆がつぶれたのが何度目かわからないくらいの時「くるっ
」と回転ができるようになりました。
登り棒も登れませんでしたが、足の皮がむけるほど練習して登れるようになりました。
一輪車も同じように頑張りました。
小さなころは、できないことができるようになると、お父さん、お母さんが喜んでくれます。
親を喜ばせることができる自分が嬉しい、そんな刷り込みができてしまっている人も多いのではないでしょうか。
こういった「努力すればなんとかなる」経験を積むことで、おおくの事柄を努力でカバーできるようになりました。
しかし、最初に書いた送金の例のように、自分の努力だけではどうにもならないこともあります。
たとえ相手が困ったとしても、システムが機能しない状態ではわたしにはどうにもできません。
人のニーズに応えられない(人を幸せにできない)わたし=ダメな私=あってはならないこと
期待に応える(人を幸せにする)わたし=素晴らしい私=OK
こんな意味不明な思い込みがあったのに気付いたのです![]()
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確かに期待に応えたら、人は喜んでくれますし、嬉しいでしょう。
その喜ぶ人をみて私も嬉しくなるでしょう。
そして期待に応えられず、期待した人をがっかりさせたとしたら、私も悲しくなり「どうにかできたらな」とは思いこそすれ、「がっかりした気持ちをどうにか嬉しい気持ちに変換したい!」とコントロールするのは不可能なことです。
相手がどう思うだろう。
どうにか自分に対して好意的な感情を持って欲しい・・・
という不可能なところで思い悩むことは、誰でもあると思います。
でも、年末年始の海外送金以上に、他人の感情をどうにかしようなんて、不可能なことですよね。
「あの時こうすればよかったのではないか。」
「もし、こうしたらこんな結果ではなかったのではないか?」
できないことがあった自分をこんな風に責めることが多くありました。
けれど、人のことは何もできないんですよ。
何か私が変えることができるとしたら、自分のことだけなんです。
鉄棒や登り棒、一輪車の練習をしたみたいに、直接アクションできるのは自分のことだけなんです。
友達と一緒に鉄棒ができて「嬉しい!」と感じられる自分だけです。
両親が嬉しいと感じるのは、私がコントロールできることではなくて、彼らの勝手なのですよね。
いくら大切な人たちでも、その人たちの感情まではコントロールなんてできない
。
大切な人たちを幸せにすることをあきらめ、自分を幸せにすることに集中しよう
。