いろいろ考えながら、生きる意味を探そうともがく。

割と熱心な仏教の家に生まれたのだけども、何か違う気がして、とりあえず手当たり次第に宗教の本を読んだ。

しっくりきたのは聖書だった。

 

神の御赦しと人の許し、違いを考える。

聖書に説かれている神の愛とはなんだろう。

赦しは許しとどう違うのだろう。

 

とある事情から、私は長らく人に怒りと憎しみ、強い負の思いを向けていた。

自分の感情に耐えられなかった。

そして悩んだ。

 

どうしたらこの苦痛から解放されるんだろう。

どのくらい人を憎めば楽になれるんだろう。

 

いくら考えても悩んでも憎み続けても、答えに巡り合えなくて、本を読んでも腑に落ちなくて。

ある時、聖書にたどり着いた。

 

答えは聖句にあった。

ヨハネの手紙第一1章9節
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、 神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、 すべての悪から私たちをきよめてくださいます」

 

・・・そうか、許しだったのか。

赦されるために、私は自分が憎悪の対象にしていた人物の「過ち」について、許す必要があったのか、と。

 

人が生まれながらに負う原罪を祓い、清めるのが赦しであって、認めないのは罪だ。

罪を負う自分が、他人の過ちを罪悪とみなして憎悪を向けるのは間違いだ。

他人のことは言えない、自分にも落ち度があるのだから。

赦しは神の御業で、人は他人を赦す事は出来ない。

ただ怒りを解く、憎む思いを相手に向けない、そういう意味での許しなら出来る。

 

だからせめて、その人物の過ちを罪悪とは見なさない、もう憎悪を向けるのはやめよう、怒りを収めよう。

赦しではなく、許そう。

 

少し、心が晴れたと思う。

今はただ、その人物のために祈る。

過ちが神によって赦されるように。

本人が、そういう心境に至れるように。

同じ事を繰り返さないよう、その機会を与えられるように。

 

とりあえず、小さな救いを見つけたと思う。

 

https://ameblo.jp/1st-geocities-churchl/

きっかけを得たのは、牧師の進藤龍也先生のブログ。

神の愛について繰り返し説かれている、ここにある記事を読んで、聖書に目を通そうと思った。

先生、勝手ながらありがとうございます。