『…はい、もう大丈夫ですよ~!』
転んで、膝を大きく擦りむいた男の子に、消毒液を塗りながら微笑む。
香坂先生が診察するほどでもない、ごく軽い怪我なんかは。
私が、処置を任されていた。
…あの、再会の日からもう、何日か過ぎた。
逢ったからと言って、劇的に何かが変わる、なんて無い。
でも、時折。
私の部屋から見える、向かいの道場の中。
門下生を指導する、斎藤さんの姿を見かける…それだけでも。
死んだと思って暮らしていた日々を思えば、
比べものにならないくらい、幸せだった。
うじうじと悩んでいるヒマなんて無いくらいに、診療所が忙しいのが救い。
『千鶴、この薬を、町の外れの梵能寺のもうろく住職へ届けてくれ。』
そう言って香坂先生がくれた薬を受け取る。
『日が明るいウチに行けよ、町の外れは柄の悪い連中もいるからな。』
『ハイ。』
今は、診察も終わった、午後2時。
日暮れには、まだ早い。
全然大丈夫!
『それでは、行って参ります。』
私は、薬を届ける為に、診療所を後にした。
春の昼下がり。
会津は、本当に過ごしやすい気候で。
いたる所で満開を迎えているこの桜の下を歩くだけで、気分も華やぐ。
…辛い事ばかりじゃない。
私は、元気で。
助けてくれる人もいて、仕事もあって、食べるのにも、住む事にも、困ってない。
そして何より、好きな人の、近くにもいれる。
こんな…当たり前の事が、どんなに幸せかって。
戦いの中に身を置いて、私は知ったから。
すぅー…と、胸いっぱいに空気を吸い込む。
むせるような桜の匂いがした。
梵能寺の住職さんに、お薬を手渡して。
…話し相手が欲しかったに違いない住職さんから、
やっと解放されて外に出た時には。
日が、落ちかけていた。
…わ、大変!
…町の外れには、柄の悪いのがいるから…。
香坂先生の言葉を思い出す。
しかも。
ぽつり、ぽつりと。
…雨が降って来た。
『……雨!』
来る時は、あんなに晴れていたのに…。
そう思って、境内を走って横切ろうとした時だった。
『五郎さんが迎えに来てくれたの!?』
聞き覚えのある、弾むような声が聞こえた。
撃たれたように立ち止まる。
見ると、お寺の本堂の中から、小夜子さんくらいの娘さんがたくさん。
…何かの手習いなのだろう。
手に小さな風呂敷包みを持って、出て来ている最中で…。
黒い、蛇の目傘を指した、斎藤さんが。
それを迎えて、いた。
…私って、間が悪い。
つくづく、思う。
周りの友人達に囃し立てられて。
きゃあきゃあと、はしゃぐ声が聞こえて来た。
真っ赤になる、小夜子さんの様子で。
…彼女の気持ちが、痛い程、解ってしまった。
大きな、黒い蛇の目傘の陰の。
…斎藤さんの表情は、伺い知る事は出来ない。
ただ…手に持った。
…赤い傘を小夜子さんに差し出しているのが、見えた。
…激しくなる雨。
凍りついたように、そこから一歩も動けない。
その時だった。
『…雪村さん!!』
ふと、小夜子さんが、私に気付いて走り寄って来る。
『わぁ、濡れちゃってるじゃない!
どうしたの?』
人懐っこい笑みで、私を覗き込みながら、言った。
『あ…住職さんに、お薬を届けに…。』
『…そっかー。
私は、お茶のお稽古!
住職様の奥様が、お師匠さんなのよ!
あ、…ね、この傘、使って?
私、…大丈夫だから!』
喜々として自分の傘を、私の手に持たせると。
くるりと踵を返し…当然のように。
斎藤さんの傘の中に…収まった。
…仏様も。
…けっこう、残酷なコトするんだな…。
さっき手を合わせたばかりの、大日如来様を怨んでみる。
傘は、手の中にあるのに…。
…とても使う気になんて、なれなかった。
…早く、消えて。
二人で入った大きな蛇の目傘が、見えなくなるまで、
私、ここを動かないでいるから…。
…その後ろ姿を見ながら、同じ方向に帰れる程、私、強くなんかない…!
…花散らしの雨が降る。
満開の桜を、散らすように。
…でも、良かった。
泣いてる事に、気づかれずに済むもの…。
…もう、いいかな。
しとしとと降る雨の中。
…もうとっくに、日は落ちていた。
…急がなきゃ。
まだ、完全に真っ暗ではないけれど…。
…怖い。
今更ながら、ここがお寺なのだと気付き、ふるっと震え上がった。
…早く、帰らなきゃ!
小走りに、走り出す。
境内の階段を下りて、鳥居をくぐり抜ける、寸前。
木陰の間から、ぬるりと。
…男が2人、表れた。
もう、本能的に自分の身の危険を感じる。
『…よぅ、姉ちゃん。』
着物に、帯刀。
明らかに浪人崩れだ。
咄嗟に、自分の腰に手を伸ばす。
…でも。
指先には、何も触れる獲物は無い。
…男装を解いた私はもう…小太刀を差していないんだった…!
『…雨に濡れた女なんて…たまんねぇな…。』
もう一人の男が、下卑た笑いを浮かべた。
じり、と。
徐々に距離を詰められる。
…どうしよう、怖い!!
『…き・ゃ…っ!』
男の手が、あっと言う間に私を羽交い締め、…口を塞ぐ。
もう一人が、足を抱えた。
男達が表れた暗闇に、引きずり込まれる。
『…なぁに。
…大人しく楽しませてくれたら、殺しゃしねぇよ。』
口を塞いだ男がそう言うと。
『…見ろよ、この女。
すこぶる上玉だぜ…、こりゃあ…いい。』
もう一人が、私の着物の裾をゆっくりとはだけさせながら、言った。
……嫌だ…っ、誰か…っ!!
口を塞がれているから、声も出せない。
…でも、出した所でこの人気の無い場所じゃ…!!
何とか、何か逃げる方法は…っ!
暴れるだけ暴れながら、必死で抵抗する。
その時だった。
『…その娘を離せ。
…今すぐに、だ。』
斎藤さんの…声が、した。
信じられない気持ちで、その姿を見る。
一瞬、男達の腕が緩んで…。
次の瞬間には、…骨の軋むような音がした。
『ぎゃああぁぁっ!』
男達の悲鳴が二つ、夕闇を切り裂くように響いた。
…太刀筋なんて、見えない。
男達ですら、何が起こったのか解らないかも知れない。
一目散に逃げる男達。
まだ止まない雨の中。
『大丈夫か。』
向き直って、私を見下ろした斎藤さんの。
左手の木刀が・・・・カラン・・・と、乾いた音を立てて落ちた。
濡れた地面に投げ出され、座り込んだまま呆然と…見上げる私。
『…ど、…して…。』
まだ消えない恐怖で、歯の根が合わない。
カチカチと震えながら、乱された着物を直す。
その指先も、ガタガタと震えていた。
…怖かった…っ!!
濡れた前髪から、雨の雫と、涙が、頬を伝った。
腰が抜けたように、身体に力が入らない。
斎藤さんが、私の二の腕を掴むと引き上げた。
『立てるか。
…もう、大丈夫だ。』
暗くて…よく見えない。
…明るかったとしても、きっと…見えなかっただろう…。
『……~っっ!!』
…だって、涙が止まらないもの…。
傘も差さないで…、…もしかして、走って来てくれたの?
微かに上下している肩。
『…どう、して…。』
もう一度、呟く。
『…道場に帰って…暫くしても。
…あんたの部屋の、明かりが点かなかった。
…俺達と同じ時刻に寺を出たなら。
それは、おかしい。』
静かな、声がそう教えてくれる。
『…送ろう。』
先に立って歩き出す、その一歩後ろをついて行く。
……昔みたいに。
【哀しみは雪の降るように⑨ へ続く】
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『幕末戦隊 シンセンジャー』を書いてる人と、
同じ人が書いてますよ?
いいんですかね・・・。
てかもう、この回の斎藤さんが、
斎藤さんが、カッコ良くてしょうがない!!!
やーもー!!!!
自分で書いているのに、本当に申し訳ございませんが、
『部屋の明かり』がつかないのを、
どうして、気にしているの・・・っ!?
と、突っ込みたくなります。
しかも、それで危険察知。
素敵過ぎる・・・。