突然ですが、全然ブログを書いていなかった時期のお話をします。 

私は、カサンドラ症候群の中では なかなか特殊なのかな?と思います。

何が特殊なのかと言うと、群れないところ?かな?と、思います。

群れるのが良い悪いではないし
群れないことが、良い悪いでもないと思っています。

ただ、カサンドラ症候群から抜け出たい!と強く思うときに、私は『共感能力』というのを手放しました。

それまでは『共感能力って大事!共感能力ない人はココロがない。空気が読めない人は苦手』と思っていました。


が、


共感能力も空気を読む行為も、結局は曖昧で形を持たない抽象的なものですよね。


アスペルガーとカサンドラの会話が噛み合わず成り立たないのは、双方に原因があると思います。(誰か、のことではなく私個人的にです。)


私はカサンドラから脱出するにあたって、自分に共感してくれる人たちの中に居るよりも

私には理解できないアスペルガーっぽい人たちの中に飛び込みました(その人たちは私に共感してくれないし、意識して空気を読むまない事を好む人たちでした(笑))








その人は言いました。

『私は空気を読まないよ』
『私は空気を読まずに好きなことを言うしやるし行動する。そんなとき、空気を読める人が、勝手に耐えられなくなって私をフォローしたり勝手に面倒なことを被ってくれる。それは、ほんと悪いけど利用させてもらってる。』
『だって空気読むのが好きな人は、好きで空気読んで汚れ役を自ら引き受けてるよね。その程度にしか自分を大切にしてないんだよね?たまから、ほんと申し訳ないけど、空気ばかり読んで自分を大切にしてない人に対しては(他人のことを大切にしたがるひとは)汚れ役を引き受けてもらうことにしてる♪』

と言ってました。




最初聞いたときは衝撃過ぎて、頭をトンカチで叩かれたような気持ちになりました。