1週間後



実家を訪ねました。

母は廃人のように変貌していました。

目は落ち窪み

顔面は、青あざができていました。


掃除、洗濯をした様子もなく

いつ炊いたご飯なのか、

炊飯器は

ガビガビになり、茶色くなった

ご飯が食べた様子もなく入っていました。


机の上には

刺身を食べたあと

パンの袋

水と酒の残骸‥


例えるなら、男の人が一人暮らしでも

しているような部屋でした。


「顔、青あざなってるよ」


「トイレ行こうとして転んだのよ」



‥‥


また、言い争いになるのも

嫌だったので


「部屋だけでも片付けてから

お酒飲んだら?」


「子供達もここに来るの嫌がってるよ」



母は上の空で

テレビを見ながら、水を飲んでいました。


私はまだ、

この時も母はお酒をやめられるだろうと

思っていました。


飲む回数が増え

泥酔している為、あちこち怪我を

している事が増えていました。


なぜ怪我をしたのか覚えて居ないようでした。


私も妹も子供達を連れてく

事が減りました。


ある日、いつものように

実家は施錠されていました。

開いている窓があったので

そこから、リビングへ‥


母は酔って寝ていました


「ねえ‼︎起きなさいよ‼︎


「ねえってば‼︎」


「あんたなんなのよ‼︎」


「なんでいつもいつも酒ばっかり飲んでるのよ‼︎」



一方的に母に対して

泣きながら、罵声を浴びせてました。


悲しみ

怒り

軽蔑

憎悪


色々な感情が湧きあがりました



目の前に居るのは

母じゃない

誰⁇



「病院連れて行ってくれない?かな?」


‥‥


えーん


「もちろんだよ!」


「一緒に行こう‼︎」





















母は自分の力では

アルコールをやめれなくなっていました。


料理をしながら

お酒を飲む

キッチンドリンカー‥



正月🎍

家族が集まった時の話です


父が

いきなり、怒鳴りつけました。


「また、酒飲んで‼︎」


みんな、びっくりしました


普段から、飲んでいて

帰省していた父も心配になったようです。


すると、母が逆ギレし


「何にもわからないくせに!」

「なんなのよ‼︎」

「何で、私ばっかり‼︎」

‥と

お酒を飲んでいる事を咎められ

お酒飲むいい訳を

一生懸命言っていました。


このいい訳は何十年にわたっても

続きます。



みんな、気まずい雰囲気になり

お開きに、なりました。

あんまり、飲むと身体に悪いよ!

‥と母に言って

実家を後にしました。


父がまた、出稼ぎに行き

実家を訪ねると

鍵がかかって🔑開きません💦

電話しても、電話に出ず‥


庭の方へ行って

カーテンの隙間からリビングを

覗くと母が横たわっていました。

テーブルの上には

お酒を飲み干してあるのが

見えました。


泥酔して、寝てるんだショボーン

部屋は掃除をしていないようで

散らかっているようでした。


母さん‥


次へ





私の母親は

アルコール依存性です。


それに、気付き始めたのは

私が成人したあたり

だったと思います。


私が子供の頃は

父の晩酌🍺につきあい、

ビール、一杯程度しか

飲んでいませんでした。


私も妹も結婚し、

家を出て、

専業主婦だった母は

友達も少なく

孤独に、なったのだろう

と思います。





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子供を連れて遊びに行くと

昼からお酒の匂いが

する事が度々ありました。



父は建築業で

出稼ぎに行っていた為

母は1人で家に居ました。


お酒を呑んで、

寂しさを紛らせていた

のかもしれません。


ご飯も食べずに‥

食卓にビール缶、

酎ハイ缶、

酎ハイのボトルが

こんなに呑んだの‼︎

っていう位、置いてありましたちょっと不満


1年程して、母の手を見ると

小刻みにプルプル震えていました。



「大丈夫だってば‼︎」



ビール缶、酎ハイ缶、酎ハイのボトルが

こんなに呑んだの‼︎

っていう位、置いてありましたちょっと不満


1年程して、母の手を見ると

小刻みにプルプル震えていました。


理不尽にキレていましたからプンプン💢


後に

母のアルコール依存性

によって、

家族が振り回される事

になるとは

この時までは思っても

みませんでした。





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家に帰り、旦那に話すと

アルコール依存性じゃない?

やっぱりそうかキョロキョロ


呑んでいる時は

別人かと思うほど

人格が変わっていましたガーン


酒酔い→泥酔→酩酊


こんな感じでした。








 



お酒を呑んでいない時は

とても優しくて

温厚な母で

何処に出かける

にも一緒に行き

娘を出産した時

も力になってくれる

頼りになる母でした。


それが、アルコール依存性で

母に幻滅する事が

何度もあるようになりました。

そんな、母の姿を

子供達にも

見せたくなくて、

私も妹も

子供達を連れて実家へ

遊びに行くのが

減っていきました‥




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それで更に、

アルコール依存性の

拍車がかかり、

加速していったと

思いますチーン



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次に続く‥





 

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解熱剤、点滴など
しましたが、熱はあがったり、下がったりでした。
食欲もなく、フォローアップミルクも
あまり、飲めずにいましたえーん
 
入院してから、次の日
ぐったりしていました💦
先生が回診に来て、大部屋から個室に移りましょうとガーン
 
それは、ナースセンターの側にある
あの個室‥
 
心拍数など計る、
機械を胸につけられて
娘は常にナースステーションから監視されました。
警告音がなり響いていました。
 
先生が
 
「RSウィルスに効く薬はないです」
 
「今晩から明日が山です」と
 
「最大限の手は尽くしますが」‥と
 
なぜか、涙は出ませんでした
 
娘は酸素のテントに入り、更に喘息の人が使う
水蒸気をテントに入れて吸っていました。
 
泣き声も弱く、ほわほわっぐすん
と泣いていました。
抱っこしたくても、酸素テントから出して、抱き上げる事もできませんでした悲しい
 
家族に連絡をし、
「もしかしたら」 
「もしか、かもしれないけど」
としかうまく
言えませんでした。
 
ちょうど、産まれてから、1年と2日です、
 
神様はなんで、
こんなに試練を与えるんだろうと
どうして?なぜ?
未熟児で産まれたから?
私からこの子を連れていくの?
幸せな時間を1年だけくれたのですか?
全部をクリアし、奇跡の連続で
 
‥それなのに
 
酷です‥
 
その晩は
娘のベッドの横で眠りました。
 
アイス枕を替えて、身体の脇、足の付け根
を冷やし、そして朝を迎えました。
 
朝の検温に看護師さんが来ました
 
看護師さん「熱下がりましたね!」
 
私「はい」
 
3時位まではまだ、38.5℃ありました
 
娘は
朝、9時過ぎに
喉が渇いたのか、お腹が空いたのか
かすれた声で泣いていました。
 
ナースコールを押し、ミルクを飲ませていいか聞きました
先生が来るまでお待ち下さいと言われました。
おしゃぶりを吸わせましたが
吸ってはくれません
そのうち、泣きつかれてまた、眠りました。
 
午前の回診で先生が
聴診器で胸の音を聞いて
 
先生「乗り越えましたね‼︎」
 
私「えーん
 
言葉になりませんでした。
ただ、ひたすら昨晩は祈り
側にいる事しか出来なかったけど
 
また、頑張ってくれた次女ちゃん👏
 
RSウィルスは長女もかかった事が
あるので軽くみてましたショボーン
基礎疾患、娘のように
低出生体重児だとリスクが
あると、この時、初めて知りましたあせる
 
神様、責めたりして
ごめんなさい悲しい
猛省しました。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 


 

本来なら、みんな必ず

一度はかかると言われている

 

RSウィルス

発熱、鼻水などの症状が数日続きます。多くは軽症で済みますが、咳がひどくなる、「ゼーゼー、ヒューヒュー」という喘鳴を伴った呼吸困難が出るなどの症状が出現した場合は、細気管支炎、肺炎へと進展することがあり注意が必要です。潜伏期間は2~8日、典型的には4~6日です。初めて感染する乳幼児の約7割は、数日のうちに軽快しますが、約3割は咳が悪化し、喘鳴、呼吸困難症状などが出現します。早産児や生後24ヶ月以下で心臓や肺に基礎疾患がある、神経・筋疾患や免疫不全の基礎疾患を有する感染者の場合、重症化するリスクが高まります。
重篤な合併症として注意すべきものには、無呼吸発作、急性脳症等があります。

 

次女は低出生体重児の為にリスクげありました。

 

1才の誕生日バースデーケーキ

家族、親戚が集まりお祝いのクラッカー準備をしていました。

1才になった為、一升餅を背負わせるという

地方でしかやらないのかわかりませんが

みんなで次女を囲み、お祝いしました。

 

 

私は次女に対して、

常に何かしら気になり、、

体調が悪い事にすぐ気付きましたガーン

 

ん??

何かがおかしい‥

 

鼻水も出てるし、口のまわりには、

小さいプツプツがでていました。

手足がとても、冷たくなっていました。

体温を計ると、すでに38℃を超えていました。

 

もう既に、夜だったので

冷えピタを貼り、様子をみて

明日の朝、病院へ受診する事にしました。

 

その夜

 

‥ヒューヒューと苦しそうな

喘息のような息づかいがしました。

苦しそうで高熱が続いていました。

身体を冷やし、朝まで眠れないまま朝になりました。

 

朝1番で診察券を出し、

診察してもらいました。

小児科の先生が

聴診器をあて、

 

「お母さん、呼吸音が悪いから、レントゲン撮りましょう」と

 

レントゲンを撮影してもらい、

また、診察室へ

 

先生「今日、帰れなくなります。肺に影があって、肺炎になっています。」

 

私「わかりました」

 

一時、自宅に戻り、入院の準備をする為、

母に連絡をして病院に来てもらいました。

次女の熱は、まだ高熱のままでした。

 

点滴を入れたりされた為、

娘はずっと大泣きで

手を動かさない様に、腕に板を敷いて、

針を刺されていました。

抗生剤をいれた、点滴でした。

 

入院したので、熱も呼吸も

楽になるのかなぁ?と思いましたが

悪化していきました滝汗

 

②へ続きます

 

 

 

 

 

 

 

  娘の容態

 

 

 

 

娘は重篤な状態が続いていました。

鼻CPAP
小さな身体には色々な機械がつけられていました。

 

カルテには

 

 

  • 新生児仮死
  • 呼吸窮迫症候群
  • 無呼吸発作
  • 高ビリルビン血症
  • 未熟児貧血
  • 光線療法
  • 人工換気

 

神経学的後遺症のチェック

と、書かれていましたえーん


 

小児科の先生が
脳のCTを撮ったので
色々説明がありますと看護師さんが
言いに来ました。

家族で説明を聞きに行きました。
脳が真っ白でした‥

これは‥‥

 

先生「お腹の中で赤ちゃんに酸素が

いかなかったので脳に、ダメージがみられます‥」と

 

「まだ、危険な状態は脱していません。これから色々な困難を乗り越えなくてはなりません」と

未熟児網膜剥離というリスクも
ありますと‥

 

私は覚悟を決めていたので、驚きはしませんでしたが、義母、主人は次女の事を

あのまま亡くなってたら幸せだったのかも

とか言っていました悲しい 

今でも、忘れられない言葉です。

 

私は退院してからも、毎日毎日搾乳し

母乳を病院まで届けに行きました。

娘の体重は980gまで、一時落ちましたショボーン
 

小児科の先生がカンガルーケアを勧めてくださいました。

 

 

 

 

 カンガルーケア

 

 

 

 

ママが赤ちゃんを裸のまま、母親の胸で抱っこすることです。

NICU等で過ごしている低体重出生児に行われます。母子のふれあいが可能です。

 

 

 

 

初めは恐る恐るでしたが、段々となれてきました。

 

 

 

 

更に、その頃また脳のCTを撮りました。

小児科の先生に呼ばれ、話を聞きました。

先生が

「脳が前回、真っ白だったんですが、

今回のCTでは綺麗になっています‼︎」

との事でしたポーン

 

私「先生‼︎ということは⁇」目汗

 

先生「29週で産まれた為、

脳が再生したのかもしれません‥30週以降にあの状態で産まれてきたら、脳のダメージは、まぬがれませんでした」

 

奇跡が奇跡をよび、色々な事を娘はクリアしていきました。

未熟児網膜剥離も大丈夫でした。

それでも、可能な限り娘に会いに

病院へ行きました。

 

 

 

ミルクの量を制限されていたので

おしゃぶりを吸わされていましたが、チューブからミルクを飲んでいたのも外れ、2か月を過ぎた頃には哺乳瓶で飲むようになっていました。

日々、成長を感じる事ができました。

今日は200g増えました

\(^-^)/と看護師さんとの日記のやりとり

毎日カレンダーに体重を記録していきました。

 

 

実家で産後過ごしていたのですが、

あの真っ黒なアゲハ蝶はいませんでした。

母に聞くと、不思議と次の日からいなかったのよ‼︎って

妹も娘が産まれた日、実家へ来て

黒いアゲハ蝶飛んでいたの見て、

気持ち悪いね‥と母に話したそうです。

 

虫の知らせというのってあるんだなあ‥

とこの時初めて感じました滝汗

 

 

今、次女は普通に障害もなく、過ごしています。

が、一歳の頃また、生死を彷徨いましたが乗り越えました立ち上がる

 

 

 

妊婦さんへ

 

 

 

妊娠中は何か、異変があったら直ぐ、

病院へ行って下さい


 

母子共に危険な

胎盤剥離というのがある事を

産婦人科の先生も、妊婦さんにも頭の片隅でもいいので覚えておいてほしいですおやすみ

一分一秒を争います

 

 

 

 

三女出産

 

 

 

三女が産まれる時は

小児科の先生が念の為といって、 

分娩室まで小児科の看護師さんと一緒に来てくださいました泣き笑い

「今回は無事に産まれてきてよかった」と

言って聴診器で三女を診てくださり、

帰っていかれました泣

 

本当にありがとうございました笑い泣き

と伝えました

 

 

 

 追記

 

 

最初に行ったかかりつけの

産婦人科へはあれっきり

行っていません。

 

もし、娘が亡くなっていたらと思うと

今でもぞっとします不安

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 

 

 

 

 

救急車で次の病院

 

 

 

 

 

    
到着後、すぐ産婦人科の内診台へ
上がってまた、破水?出血?
しましたガーン
先生が大きな声で
なんで「ウテメリン」してるんだ‼︎
早く抜いて‼︎とか
ゲロー
先生と看護師さん達の声が
どんどん遠くに聞こえていきました。

 

 

 

 
 
‥‥
 
 
‥‥‥
 

 

 

 
 
いい香りがしてきました。
お花のようなお線香というか、お香のような
匂いがしました。
この世ではない匂いかもしれません。
トンネルをもの凄いスピードで
懐かしいような場所に来ました。
ざわざわ話声が聞こえてきました。
もう、楽になれると思ったのですが、
ふと、後ろを振り返ると
とても悲しい気持ちになりました。
長女の事を考えました。
すると、パッと今度は
真っ暗でドロドロの沼のような所に着きました。
帰らなきゃ!
と思い、一生懸命ひたすらぬかるみを歩きました。どれくらい歩いたのか、
上を見上げると小さな明かりの方へ吸い込まれていきました。
 
臨死体験というものだったのかもしれません。
 
 
目が覚めると
家族、親戚が私を囲んでいました。輸血もしていました。
声を出そうにも挿管したらしく、声が出せませんでした泣
ナースコールを押してもらいました。
 
目が覚めたようですと‥
 
お腹を触ると
 
‥‥
 
 
 
赤ちゃん居ない‥
 
恐る恐る「赤ちゃんは?」
 
みんなは、暗い顔で「まず、身体を休めて」
としか
言ってくれませんでした。
 
「赤ちゃんに会いに行く‼︎」
私は輸血の針を抜き
、点滴も抜き、ベッドから降りようとしたら看護師が何人も来て抑えられ
また、注射をされ少し眠らされました。
 
ベッドは血だらけでした。
 
2日目、どうしても会いに行きたいと
先生にお願いをして
私は車椅子で
我が子に会いに行きました。
 
 

 

 

娘と対面

 

 

 
両手で包み込める位
小さな小さな女の子でした。
 
涙が止まりませんでした。
生きててくれてありがとう。
そう娘に話かけました。
 
 
 
 
 
まだ、保育器の中に入っていたので
抱っこはできませんでしたが、手に指を入れるとぎゅっと握ってくれました。
反対に私が励まされたような感じがしました。
この子を何があってもこれから
絶対守らなきゃ!
だから、私は生きかえったんだとおもいました。
 
私の出血量は1000ミリを
超えて1417mlでした。
 
娘は胎児仮死で
体重1280g
身長は38cm
 
 
私の父と同じ6月10日に
産まれました。
 

 

 

 

次は
 
娘の
脳のCTと未熟児網膜剥離の検査へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常位胎盤早期剥離

 

 

 

    

正常な位置

に付着している胎盤が分娩終了より

早い時期(早期

に剥がれ(剥離

してしまう病気です

 

 

 

胎児は酸素供給が閉ざされ、胎児の状態が急激に悪化します

 

 

母体は、出血性ショック状態に陥る

輸液や輸血が必要となる

 

 

 

原因

 

 

過去に常位胎盤早期剥離を起こしたことがある

喫煙

妊娠高血圧症

切迫早産

 お腹に対する外傷

 

 

 

 

 

常位胎盤早期剥離で
極小未熟児で生まれた次女

 

 



 

 

22年前の6月10日
その日は自宅の家事を終えて、

程近い、実家へ顔出しに行きました。
あし胎動が感じないような‥
母にその話をすると
病院行きなさい!と強く言われました。
お昼寝したら多分良くなるかもひらめき電球と思い、
私は実家で横になりました。
庭には真っ黒なアゲハ蝶が2匹ちょうちょ
ヒラヒラヒラヒラずっと飛んでいました。
数十分後、お腹がカチカチになり、激痛がやってきました。


 

「どうしよう‥」

「これって普通じゃないよね?」

私はかかりつけの産婦人科へ電話を
しました。すると先生が
すぐ来るようにと
この、時点で救急車を呼んでいれば
後々、母子共に危険になる事はなかったとおもいます。

産婦人科へは車ですぐということもあり、
自分で運転して行きました。
 

到着すると、お腹に胎児心拍を聞く機械をつけられて、内診をしました。
 

先生「うーん‥早産かな?」

「ウテメリン」打ちますね

私「先生、お腹カチカチなんですけど、大丈夫ですか?」
 

「それに、点滴打ってから吐き気がしてきたんですが」ゲロー

先生「‥‥」

私のお腹はこの時、胎盤が剥がれきていたとおもいます。
顔面は蒼白だったとおもいます。

先生が総合病院と連絡をとっているようでした。
お腹の痛みは増していきました。

 

先生私の車で行きましょう!

この時、なぜ救急車を呼んでくれなかったのか今でも不思議ですガーン




先生の車で総合病院へ




到着すると明らかに看護師さん、先生達がバタバタしています。すぐ、内診台あがらせてとか
怖いワードがいっぱい聞こえてきましたえーん

 

赤ちゃんダメかも‼︎

とか
お母さんもかなり危ないから

ドクターヘリで行く?とか
輸血の準備は向こうあるかな?とか

 

 

え?私危ない?なんで?
赤ちゃんは?ダメって?どういう事?

 

 

内診台にあがったと同時に破水
バシャーという感覚でした。
 

看護師「きゃー!」
 

「先生‼︎大変です
破水しましたと‥」


 

 

そこに母と長女が病院から連絡を受けて到着しました。

長女は不安で今にも泣きそうな顔ショボーンをしているのを今でも覚えています。

母はこれから別の病院へ搬送されると伝えられ、茫然としていました。
ストレッチャーに乗せられ、

救急車で
次の病院へ

病院のたらい回しみたいだなあ
とこの時、お腹の激痛に耐えながら
動かないお腹を撫でながら
頑張って‼︎頑張って‼︎と
到着するまで祈っていました。



臨死体験するのはこの後に
続きます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

28年前には長女を

22年前には次女を
20年前には三女を
出産しました。


長女
41週を過ぎて
2956gで産まれました。

次女
29週で常位胎盤早期剥離で、1280g胎児仮死にて産まれました。

三女
40週で2880gで産まれました。

 

 

 

 

 
 

 

 

8月27日頃から生理前症状がチーン

28日予定日ばっちりに

最後になるであろう

生理が来ました滝汗

 

 

 

 

レルミナ服用

 

 

 

 

生理とレルミナ1日目   量、まだ少ない

 

 

 

が‥

 

 

 

 

生理とレルミナ2日目  夜用ナプキン、タン            ポンをつけても2時            間もたず

            出血量が今までで1            番多く

            塊がでる(ドバドバ

            貧血なのかふらふら

            目がチカチカする

 

 

 

 

 

 

生理とレルミナ3日目  まだ、量が多く夜用            ナプキンとタンポン            装着

            塊が出ている

            生理痛がひどい

 

 

 

 

生理とレルミナ4日目  普通の量になり昼用            ナプキンに切り替え

 

 

 

 

生理とレルミナ5日目  量が少なくなり楽に

 

 

 

 

レルミナ飲み始めてから、骨が痛いというか締め付けられるような感覚がある

お腹もキューっとはる感じがする

 

 

 

来月からは生理来なくなるんだなあ‥

 

 

 

 

 

いつも「あ❗️漏れるかも」

とトイレへダッシュ💨

食事していて、椅子を汚したりしなくてもすむんだなあと目

 

生理って、人それぞれ違うと思うのですが、

貧血になる位の生理は

子宮からのサイン⚠️なのかもしれません真顔