備忘録として
今日は戦争について話させて下さい
昨日は80回目の節目の終戦記念日でした

私は戦後9年目の生まれなので
勿論戦争体験はありませんが……
幼い頃 よく母に連れて行かれた新宿
西口までバス そしてガードをくぐって東口の伊勢丹へ行く道中 ガード近くに必ず居た傷痍軍人達 片手片足を失くしアコーディオンを弾きながら物乞いの姿を毎回目にしてました 幼い私は怖くて母の手をギュッと握り通り過ぎたかったのに 母は必ず私にお金を渡し「あの方達に渡しなさい
あの方々のお陰様であなたはこうして幸せに暮らせてるのよ」
「ありがとうございます」と言うのよ
と……今でも覚えてます 左手は母の手を握り右手で怖々古びた缶にお金を投げ入れたのでした 私の両親は共に東京生まれ 東側は東京大空襲で焼け野原 23区の西部だった生家はほぼ不発弾だったので被害はなかった 東の空が真っ赤に染まったのは鮮明に覚えてたそうで94歳で亡くなるまで戦争の悲惨な話をよくしてました 私の祖父は中将で終戦を迎えその後何不自由なく私が生まれる前に亡くなってます 自分では手を下さず下に命令するだけの立場だっのでしょう…帰還した兵士達の多くはPTSDの症状で酒 薬 仕事もない事も重なり自暴自棄になってた
我家の近所にもそんな方がいらしたのも覚えてます 今にして思うのは母はそんな方々への懺悔だったのかもしれません

(先日街角インタビューで10代の少年が日本はどの国と戦争した事さえ知らなかった
衝撃でした 戦後の私達が経験した親から聞いた話を継承が必要だと感じました)

最後に是非聴いて頂きたい曲があります
歌詞だけでも読んで頂きたい
♬♪
「我が窮状」
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 溯るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状救うために 声なき声よ集え
わが窮状 守りきれたら 残す未来 輝くよ

麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
老いたるは無力を 気骨に変えて 礎石となろうぜ
あきらめは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
わが窮状守れないなら 真の平和ありえない

この窮状 救えるのは 静かに通る言葉
わが窮状 守りきりたい
許しあい 信じよう


長文にお付き合いありがとうございました