ムラカミハルキ | south coast diaries

ムラカミハルキ

ところで、村上春樹のElephant Vanishesという短編集をはじめた。


翻訳理論と一緒に読んでいるとはいえ、日本文学を英訳で読むというのはある程度リミットのある授業

なのであるが、こんな試験的な授業をさせてくれるのはチャプマンしかないので有難いと思う。

でも最近は、チャプマンでしか(というか私のクラスでしか)とれない授業というものを確立したいと思っている。


ねじまき鳥と火曜日の女たちを読んでいて、「日本人が書いた話だということを意識しないで読んだ」

というコメントがあり、おもしろいと思った。


前から思っていたのだけれど村上春樹の料理、音楽、ブランド、本などのレフェレンスは徹底して海外のものだね。




   

 ちょうどスパゲティーのアルデンテみたいに


   

 ロッシーニの泥棒かささぎの序曲を口笛で


   

 クラウディオ・アバドはロンドン交響楽団をその音楽的ピークに持ち上げようとしていたのだ



 レン・デイトンの小説小説を読みながら


  

 アレン・ギンズバーグみたいな詩を書けっていってるわけじゃない


  

 ラジオはロバートプラントの新しいLPを特集


  

 マクドナルドでチーズバーガー


  

 煙草に火をつけた。カルチェの音だ


  

 いまどきガーターベルトつけてる女なんてペントハウスのモデルぐらいじゃないか


  

 高校時代にはクラレンス・ダロウの伝記を読んで弁護士になろうと志した






こういった表現はアメリカ人にとっていともたやすく理解できることだし

かといってそれが日本のものではないというわけではないのだよね。

こういったものと日本人もアメリカ人とほぼ同じ感じで接しているわけだから。

マクドナルドやペントハウスはともかく、ギンズバーグやクラシック音楽と接したり

アルデンテがどうのといったりするような人間はアメリカでは教養のある部類

でもあるので、ある程度のリスペクトも生徒たちは感じざるをえなかったようであった。



最後のクラレンス・ダロウへのレフェレンスはおもしろいと思った。

ダロウは完全犯罪をやり遂げたいというある意味愉快犯的な動機から14歳の少年を殺害した

シカゴ大学の学生コンビを弁護したことで有名な、死刑反対論者であるのだが、

そういう弁護士にインスパイアされてかつては弁護士になろうとおもったこともある、

などというディテイルにシニカルなユーモア、などというのはアメリカ人であったとしても

相当に洗練された感覚で、生徒にはかなりアピールがあったようであった。



一日目にして生徒の持っていた日本への他者的感覚

   (「Amy Tanって日本人ですか?」「いいえ。」)

が明らかに崩れたことに驚き、これはかなり新鮮だと感じた。


カルチェのライターって電話越しでわかるような特別な音がするのかしら。