こえがおおきいのとあたまがいいのはちがうよ
発言力がある、というのと発言の内容が同様にすばらしい、というのは必ずしも同じではない。
発言の内容が富んでいてもおどおどしてたりしてその表現が貧弱で正しくないように聞こえる、
という残念なときもあるし、その反対に内容はどうしようもないんだけどその言い方が堂々としていて
いかにも正しそうに見えるときもある。
今学期MA生にひとり後者がいて、、
態度が群を抜いて明朗快活であるのと比例して視野も群を抜いて狭い。
こういうのはアメリカ人に多いんじゃないかしら、などと思うんだけれども
物事をもっと理解できてるまわりの生徒がその態度に押されて
口ごもってしまうところを見ると国籍の問題ではないような気もする。
たとえば今GISH JENのTHE LOVE WIFEという本をやってるんだけれど、
この本は5人のキャラクターひとりひとりのナレーションが織り交ざって
話が進んでいくという劇みたいな形式。
これはアルツハイマーになった母親が老人ホームにはいってしまった様子を息子と嫁が語るところ。
CARNEGIE (息子)/ --Oh, Ma, I said. I'm your son. It's me. Carnegie.
She dropped her eyelids flirtatiously then, and pursed her mouth-- for another kiss, I feared.
--That is your tough luck, she said.
BLONDIE (嫁)/ From time to time she recognized him. After staring or twitching for hours she would suddenly
cry, Carnegie! and ask him something. How many days he would be home over Christmas, perhaps. Or
when he was going to learn no one cared what he thought? Just shut up, she woud say. Shut up. Just
shut up.
CARNEGIE/ And what was the matter with my hair, it looked like even the barber couldn't stand to be in
the same room with me, she would say. No wonder I was stuck marrying that old maid Blondie. Next you
are going have funny-looking kids, no one can even say what they are.
BLONDIE/ He cried.
CARNEGIE/ I cried to see her there in her heartbreakingly individualized, climate-controlled room. I cried to
see its shatterproof window and equally impenetrable pictures of my father, me, the children.
CARNEGIE/ ママ、と僕は言った。ママ、僕はあなたの息子です。CARNEGIEです。
すると色っぽく目を伏せて、母親は唇をつきだした--またしてもキスをねだってではないか、と僕は恐れた。
--観念するんだね、と彼女はいった。
BLONDIE/ 時として、彼女は彼が誰だかわかった様子でした。長い間ぼんやりしたり痙攣したりしたあとにいきな
りCARNEGIE!と叫んだり。クリスマス休暇は何日家に帰ってくるのか、とか。あるいは、あんたが言うことなん
か誰が気にするものか?おだまり、なんて言ったりした。おだまり、聞きたくもないよ。
CARNEGIE/ あんたの髪どうにかならないの、まるで床屋さんが同じ部屋にいるのも耐えられないみたいじゃな
いか、とか言った。だからあんなBLONDIEみたいな嫁きおくれと結婚する羽目になったんだ。次には何者だか
わからない変な顔の子供を生むに違いないよ。
BLONDIE/ 彼は泣いてたわ。
CARNEGIE/ 僕は彼女がそうやって痛ましくも温度調節のきいた個室にいるのを見て泣いた。その部屋の頑丈
な窓ガラスと、それと同じぐらい遮断のきいた僕の父親や、僕や、子供たちの写真を見て泣いた。
そのMA生は「これは一体何なんだ、気が狂いそうだ、このナレーターたちはなんでこんな風にお互いのナレーションを
遮ったりできるんだ、わあああ」
みたいになっていた。
確かに訳のわからないアヴァンギャルド劇風ではあると思うし、それはいいと思う。
けど、「ベケットとかジョイスとかフォークナーがこういう風に訳のわからない書き方をするのは僕はいいんだ」
とも言った。
ちょっとそこ待ってよね。
今でこそ偉人みたいな感じだけどベケット・ジョイス・フォークナーみたいなモダニストたちというのは
最初は馬鹿にされてたんだよね。世の中が見たこともない視点からものを作り出したわけだけど、
アイルランドとかアメリカ南部とか出身で、彼らは文学界から見たらはみ出し者だったし、
それこそヘンリージェームズみたいなところから見ると「そんなの文学じゃない」みたいな感じだったわけで。
だからこそその視点とか書いたものには独自価値があって、世の中が認めた時には大事だったし、
認めさせるために苦心した文学研究者こそえらいと思うのね。
すでに世の中が認めてしまった時点で、ベケット・ジョイス・フォークナーならいいけどさ、みたいな感じになる
のはもう彼らの役は済んだってことかな、と思う。
、、なんか印象派の絵みたいに、人畜無害になってしまった感じで残念だわ。
「発言力」的にはすごく強いから、中身がなんとかなればかなり有望なんだけどなあ。
この視点はかなり白人男性特有の盲目さで毒されてるから、変わるかどうかはわからない。
ただ、「発言力」ってのは「発言権がある、と思ってる」っていうことと同じだったりして、
そういうのはプリヴィレージがあるところで育った人に多いんだけど、プリヴィレージがあるからこそ
見えないところがあるのね。