先生らしくないひと
自宅から数分のところにAbility Hair Design という日本人のサロンがあるということで、
YELPなんかもチェックしたところ外人にもうけがいいらしいので行くことにしました。
(べバリーヒルズがもっと近ければMOGIさんにお願いするところなのだけれど。)
普通に美容師さんとかアシスタントさんとかとの会話なんかがあり、
お仕事何してるんですか、というごく自然な質問への答えから、
「先生になるなんて全く思わなかった。
多分クラスで絶対に先生にならなさそうなひとに思われてたんじゃないかな。」
みたいなことを言った。
昔は、今は、っていうのは至ってつまらない話だけれども、自分は変わったのだなあと思った。
たとえば若い頃は品行方正なんて正直どうでもいいし窒息しそうでやってらんないと思ってた。
ルールは破るためにあるとまでは思わないまでも、(多分)他人を傷つけてない程度のルール違反は
沢山あったし、そのせいで荒んでいく心を自分のスタイルとか自分らしさだとかいう風に
勘違いしていたかもしれない。チームプレイは下手だったし、でも苦手なものをなおそうとも思わず、
自分はひとりでやってくタイプなんだ、みたいな開き直りとかもあったと思う。
だからチームプレイもできない人間が、リーダーシップとるなんて噓みたいな話だけれど、
文学研究者の生計なんていうものはは先生業でしか立たない。
品行方正、整理整頓、明朗快活、模範解答(?)、そういう類の四文字熟語が求められるなら、
仕方ないじゃないの?ひとりでやってこうと思うなら。
私らしく生きようと思ったら、噓みたいに私らしくない職業に落ち着いてしまったというパラドクス。
だって、文学なんてそもそも規範からこぼれ落ちる心を持て余すひとたちからしか生まれない。
たとえばこないだひさしぶりに山田詠美が「まだ持ってんなこのひと」と思うことを書いていた。
”美しいタレントさんやモデルさんのインタビューにおいて、ある常套句ともいえる発言に気付いたことはないだろうか。
いわく、私って、どんないやなことも一晩寝るとわすれちゃうんですよね。いわく、私って、失恋しても翌朝には気持ちの切り替えできちゃう方なんで……ほんまかいな。一晩寝て忘れる程度の代物を嫌なこととは呼ばないのでは?それよりさ、翌朝に気持ちを切り替えられる失恋なんてさ、そもそも、それ、恋じゃなかったんじゃないの?と、私などは疑問視してしまうのである。でも、もし本当にそれができてるんだったらすごーい。羨しーい。私もそうでありたーい……といいたいところだが、そんな私からはたぶん一行の小説も生まれないだろう。自分の涙の音で目覚めた経験のないひとに恋物語を書く資格はないと信じているから。そして、その涙で洗われた言葉にしか真実は宿らないと思うから。
こういうの読んでて最後に楔打たれたような気持ちにならないようになってしまったら、
私はもう文学の先生である資格もないと思うのね。