何のために生きているのか
アンパンマンのマーチ「何のために生まれて 何をして生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ」 平井堅 ノンフィクション「何のため生きてますか 誰のため生きれますか?」
昔から、何がこたえか分かりませんでした。
今回は、これについて考察していきます。
自分は、高校時代「誰かのために生きたい」とばかり言ってました。傍から見ると、「自分のエゴに酔った痛い人」だと思われていたと思います。
もっと詳しく説明すると、
「誰かの幸せために生きたい」と思っていただけで、その『誰か』なんて誰でもよく、自分の精神を安定させる心の拠り所くらいにしか思っていないのだと考えられます。要は「誰かのために生きている」と自信を持っている自分が好きってことです。
厄介なのは、自分に酔っているのでは?と聞かれても、自分への酔いが強くなるほど、相手への気持ちが増すものなので、自分が好きなのか、相手が好きなのか、自分でも分からなくなります。これが言わずもな危険です。
では、本題に戻り、
「何のために生まれるのか」
競馬の世界で有名な方と会食をする機会がありました。
「何のために生まれるのか」
結論からすると、何のために生まれるのか、
答えはありません。
そのこたえが、『正解』『不正解』なんて関係ありません。大切なのは
「何のために生まれるのか」という質問にこたえられることです。このこたえで一致しました。
では、どういうことか。
それは単に、何のために生まれるのか、目的を定めるためです。目的がないと、何故、生きているのか、本当に見失ってしまいます。そして、目的に沿った行動をすることが大切です。
例えば、何のために生まれたのか、こたえが「自分が幸せになるため」これは、多いと思います。こう答えた人が、子供を何人も産んでいたらどう思うのか。
たしかに、幸せはあるかもしれませんが、それ以上の負担は強いられます。自分の幸せというより、相手との幸せや、子孫繁栄の要素が強い気がします。自分の幸せだけのために生まれたのなら、子供を産む必要性はありません。
馬(サラブレッド)が仔馬を産むのは、子孫繁栄ですが、ヒトは自分と相手が「相手を幸せにしたい」と一致した時に産むことが理想だと思います。二人がそう思い合えば、子供を産むことは幸せだと思います。育児を楽しさに変えることができます。
それ以前に「何のために生まれたのか」こたえられない人は、子供を産む時にこんなことを考える余地もありません。
もう一度、この歌詞を考えてみて下さい。
アンパンマンのマーチ「何のために生まれて 何をして生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ」
以上が、何のために生まれるのか、質問にこたえられることが大切な理由です。
「自分の幸せために生まれた」
「国のために生まれた」
「子孫繁栄の一種として生まれた」
正解、不正解があるのかもしれませんが、自分は無宗教な上、まったく興味がないため、この先も正解、不正解のラインが引かれることは有りません。
正解、不正解は永遠に知ることのできないテーマですので考えるだけ無意味なことです。
仮に不正解でも、
こたえられることが大切です。
自分に酔っている
この話にもう一度だけ戻ります。
「誰かの幸せのため」に生きることを、子供の頃から決心することは、いけないと思います。
何度も言いますが「誰かの幸せのために生きている」と自信をもって答えることは、いいことです。
しかし、はじめから「誰かの幸せのため」に生きると決めた人生では、『誰か』は、誰でもいいのか?となります。
自分は、正直、昔から「誰かの幸せのために生きたい」なんて思いませんでした。人生は一度きり、自分が楽しいことをして生きたいと思ってました。「誰かの幸せのために生きたい」なんて思いませんでした。
そんな中、一つの出会いがあり自然と「あの人の幸せのために生きたい」と思うようになりました。
『誰か』が誰でもいいわけではありません。「本当に」素敵な出会いがあったときに、そう思えばいいと思います。ここでいう「本当に」とは低次元なことではありません。それなりの覚悟が必要です。
子供の頃から、「誰かの幸せのために生きたい」なんて答えていたら、正に自分に酔ってしまいます。
自然に「あの人の幸せのために生きたい」と思った人に、「自分のエゴに酔っている」など通用しません。自分が、何年経っても気持ちが変わらないのはこのためです。「好きなものは、好き」とかでは簡単には片付けられません。このこたえが不正解でも、問題ありません。そして、その目的のレールに沿うだけです。
今年の誕生日の日に、競馬を辞めました。ちょうど丸一年、月に一回したくらいですが。有名な知り合いは多いですし、トータルで負けることもなかったですが、そんなの自分の幸せのためでしか有りません。自分は「誰かを幸せにするため」に生きています。
それで、幸せです。
これは、自分が「誰かの幸せのために生きたい」と思っているからで、生き方は人それぞれです。
これからも、有名な方とは仲良くさせてもらいますが、賭ることはしません。その旨を伝えると、受け入れてくれました。
そして、「賭けるのはやめなくていいよ
誰かの幸せに人生を賭けなさい」
こう、言われました。
この言葉は正しいと思います。何のために生きるのか、そのこたえは有りません。しかし、その正解が「誰かの幸せのため」だとしたら、これは大正解です。
ご清覧ありがとうございます。