先日飲み会に誘われたが、

きっぱりと断った。

 

私も断る勇気というものを少しずつ学んだのかもしれない。

 

自分自信がなんとなく人の意見に流されてしまうというのは、

自分の中の空っぽの部分に人のエキスが流れ込むようなもので、

結局自分が空っぽなんだという事の表れなんだと思う。

 

こう思うからやめます。

私はこうしたいからこうします。

 

そのような意見を理路整然と言える人は、

素晴らしいと思う。

 

それが慣れてくるととげが経たないように言うスキルも生まれてくるのだろうが、

私はそれさえもしなかった。

 

いや、

自分の意見さえ持たない案山子のような人間だったのかもしれない。

 

どれだけおしゃれに着飾った、

三頭身の人間であっても、

中身が藁でできているなら意味がない。

 

生きている人間とは言えないのではないか。

 

脳みそがあるから人間で、

考えることができるから人間で、

その意見をはっきり持つようになることが大人になるという事なんだとすれば、

私はなんて幼い脳を持った大人なのだろう。

 

飲み会の場で、

おすすめでおつまみを頼む人がいる。

 

それもやめた方がよい。

 

失敗しても自分で選んで、

自分で考えて、

そして自分の頼んだものは自分で責任をもって食べないといけない。

 

そういうことは、

私だけではなく、

取り繕うことばかりがうまい日本人にも声を大にして言いたい。

 

夏場はあっさりとしたおつまみを頼むべきだと。

 

学生のころは私にもまだ可能性を見出されていたのか、

同級生や大人たちが寄ってきてくれた。

 

そこでスポーツや勉強や、

レジャーなどもそうだが、

いろいろと教えてくれた。

 

だけど私のような内向的な人間は、

そんな人と過ごすことが滅法苦手で、

ついつい人がいない方に向かおうとする。

 

いや、

私の場合は誰かに相手してもらえるんじゃないかと、

そういう期待をしていたのかもしれない。

 

誰があんたなんか・・・はっきりそう言ってくれる人でもいればよかったが、

幸か不幸かそういう人はいなかった。

 

何か勘違いしたまま、

私は大人になったのかもしれない。

 

だけど、

そんな勘違いさえ気づくこともできないくらい私は鈍感で馬鹿であった。

 

それは大人になっても少しも変わらず、

勘違いしたまま中年になったのだと思う。

 

大きな出来事でもあれば気づいていたのかもしれないし、

もしかしたら気づくような出来事があったのかもしれないが、

私はそんな不都合な現実には目を背けていたのかもしれない。

 

もう少し、

私もそういう周りを見る目を養ったり、

現実を受け止めるという事ができればよかったのだけれど、

それさえもできなかったこの数十年であったが、

ご当地のお取り寄せ餃子を食べることだけが今の趣味になってしまったというのは、

私の自慢といえるのだろうか。

 

 

私は虚栄心からか、

それとも恥ずかしさからか、

それとも自衛の為か、

誰からも自分の内面を見せたくなかった。

 

小さいころは、

それを見せることで人に馬鹿にされ、

見下された。

 

だから、

時には人と接するのを避けたり、

それに飽きたら自分の内面を極力見せないようにまるっきり違う自分を演じてきた。

 

正直言って、

それは本当の自分ではないわけだから、

発言する言葉も自分の言葉ではなく何かの受け売りだ。

 

例えば、

ドラマの主人公が発した言葉であったり、

誰か友人が論じた理論であったり。

 

私は全くそんなことを考えることはなく、

とにかく本当の自分を見せたくない一心で社会と接してきた。

 

そんな馬鹿なことをなんでするのかとあざ笑う人もいるかもしれないが、

そういう人に逆に問いたいが、

誰がわざわざ本当に自分を見せて昔のように馬鹿にされ見下されるような、

そんな損をする必要があるのか。

 

でも結局は一緒だった。

 

その私の姿は、

虚栄に満ちて、

滑稽で、

余計に笑いの種にされ、

そしていびつな笑顔に気分を害されることもあった。

 

その姿にさすがにもうこの歳になると疲れてきた。

 

素直に言うとそんな自分を隠さなくても結局変わらないのではないかと。

 

そして、

自分のことを理解してくれる人と付き合えばいいし、

馬鹿にする人には馬鹿にさせておけばよいとも思う。

 

以前、

私はワインのサブスク「頒布会」を利用していたことがある。

 

自分一人で極上のワインを楽しむことで、

何とか自分の見栄を保っていたのだと思う。

 

いつか、

自分のことを本当に理解してくれる人と、

本当の意味で理解しあえて、

楽しいお酒を酌み交わすことができればなぁと、

死ぬまでに一度でいいからそんな飲み会をしたいと切に願う。