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i am so disappointed.

6月15日、つまりいまぐらいの季節だが、ポップ・ミュージックの歴史上どんなことがあったのだろうと調べていると、1963年のこの日付の全米シングル・チャートで坂本九の「上を向いて歩こう」が1位になっていたということが分かった。

 

この曲が日本人アーティストとして初の全米NO.1ヒットだったということは、全米ヒットチャートを追いかけはじめた80年代の初めぐらいには認識していたような気がする。それ以前にも懐かしのメロディーとしてこの曲のことはおそらく知っていたのだが、この頃にはRCサクセションのレパートリーとしての認知度も高かったように思える。具体的には1980年のライブアルバム「ラプソディー」や、その前の年にリリースされていたシングル「ステップ!」のB面に収録されていた。ライブバージョンで忌野清志郎は「日本の有名なロックンロール」として、この曲を紹介していた。スタジオバージョンはA面共々、演奏がスタジオミュージシャンのものに差し替えられていたことでも知られる。

 

そして、全米ヒットチャートを本格的にチェックしはじめてから少し経った1981年の春、NHK-FMで日曜の18時ぐらいから放送されていた「リクエストコーナー」という番組で、全米ヒットチャートの上位ランクイン曲がノーカットでかかるということを知る。この番組を初めてカセットテープに録音した週、番組ではザ・フー「ユー・ベター・ユー・ベット」、レイ・パーカーJr.&レイディオ「ウーマン・ニーズ・ラブ」などと共に、テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ‘81」もかかった。テイスト・オブ・ハニーは「今夜はブギ・ウギ・ウギ」のヒットなどで知られるR&Bグループで、「スキヤキ’81」は「上を向いて歩こう」のカバーである。このバージョンは全米シングル・チャートで最高3位のヒットを記録したが、この時の上位2曲はキム・カーンズ「ベティ・デイビスの瞳」とスターズ・オン「ショッキング・ビートルズ45」であった。そして、このバージョンが全米シングル・チャートで最高位を記録したのも、坂本九のオリジナルと同じ6月であった。

 

テイスト・オブ・ハニーのバージョンは歌詞が英語で歌われているが、最後にはオリジナルには無い「サヨナラ」という日本語が入っている。ちなみに、この「スキヤキ」というのが「上を向いて歩こう」のアメリカなどでのタイトルだった訳だが、もう一つの候補が「サヨナラ」だったという話もある。なぜなら、どうせ日本の曲を発売するならタイトルも短くて覚えやすい日本語にしよう、というようなことを考えたレコード会社社長が知っていた日本語が「スキヤキ」と「サヨナラ」ぐらいで、「サヨナラ」というのはちょっと暗すぎるではないかと考えたから、ということのようだ。

 

「スキヤキ」というのはもちろん日本人ならご存知、肉や野菜などを鍋で似て、生卵をからめて食べるととても美味しい料理である。レコード会社の社長は契約の話などをするため来日した際に「スキヤキ」を食べ、それが強く印象に残っていたらしい。また、「スキヤキ」というタイトルをすすめたのは、「恋のダウンタウン」のヒットなどで知られるペトゥラ・クラークだという説もあるようだ。いずれにせよ、何となく日本ぽいというだけであり、曲の内容とはまったく関係ない。

 

「スキヤキ」こと「上を向いて歩こう」について、懐かしのメロディー的な印象が強すぎて、全米ヒット・チャートとあまり結びつくような気がしない、ということはずっと思っていた。どのような背景があってこの曲がアメリカで売れたのか、ということも良く分からない。日本ではこの2年前、1961年にすでにヒットしていたらしい。当時、オリコンのランキングはまだ存在していないのだが、「ミュージック・ライフ」の集計によると国内盤ランキングで3カ月間も1位だったという。

 

坂本九というとSTVこと札幌テレビ放送で日曜日に「ふれあい広場・サンデー九」という番組をやっていたり、「スター千一夜」「スター誕生!」などの司会者としての印象も強い。しかし、元々はエルヴィス・プレスリーに憧れ、ロカビリーなども歌っていたらしく、「上を向いて歩こう」でも聴くことができる独特の唱法はそれの影響なのだという。

 

そして、辛いことや悲しいことがあっても前向きにいこう、というような広い意味で捉えられているこの曲の歌詞だが、元々は作詞をした永六輔の、安保闘争と呼ばれた学生運動で味わった挫折がモチーフになっているという。永六輔はすでに放送作家として人気番組を手がけてもいたのだが、安保闘争に身を投じ、安保と番組とどちらが大事なのだと聞かれ、安保だと答えたことから番組をクビになったりもしていたらしい。作詞の永六輔、作曲の中村八大、歌の坂本九で「六八九トリオ」などともいわれていたという。

 

安保闘争が盛り上がりを見せたのは1959年から1960年にかけてだったが、当時の政権は反社会勢力を利用してまでデモ隊を暴力で抑え込もうとして、これによって東京大学の学生だった樺美智子が命を落としたりもした。これが1960年6月15日のことで、「上を向いて歩こう」こと「スキヤキ」が1位になった全米シングル・チャートの日付のちょうど3年前にあたる。

 

日本人アーティストが全米シングル・チャートで1位に輝いたのはこの曲が初めてだったが、現在までのところ、これが唯一の例である。範囲をアジア全体に広げると、それから57年後の2020年に韓国のBTSが「ダイナマイト」で初の1位を記録している。とはいえ、「ダイナマイト」は欧米マーケット向けに英語詞で歌われた楽曲だったのに対し、「上を向いて歩こう」は歌詞が日本語のままだったのが特徴である。もっともBTSもその後、韓国語の歌詞の曲でも全米シングル・チャートで1位に輝いた。

 

日本人アーティストが全米シングル・チャートにランクインするのがいかに難しいことかというのはよく言われたりもするが、1位どころかトップ40以内ですら、「上を向いて歩こう」の後は1979年のピンク・レディー「キッス・イン・ザ・ダーク」(最高37位)だけではないだろうか。トップ40圏外だと1980年にYMOことイエロー・マジック・オーケストラが「テクノポリス」でも「ライディーン」でも「ナイス・エイジ」でもなく、「コンピューター・ゲーム」で最高60位、松田聖子は1990年に「ライト・コンビネーション」で最高54位を記録しているが、これは当時、人気絶頂だったニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのドニー・ウォールバーグとのデュエットだったことが影響していると思われる。

 

ちなみに「上を向いて歩こう」こと「スキヤキ」と同じ頃にアメリカではどのような曲がヒットしていたかというと、その前の週に1位だったのがレスリー・ゴーア「涙のバースデイ・パーティ」、フィル・スペクター・サウンドのクリスタルズ「ダ・ドゥー・ロン・ロン」が4位、ナット・キング・コール「暑い夏をふっとばせ」が7位、ビーチ・ボーイズは「サーフィンU.S.A.」が13位、「シャット・ダウン」が30位にランクインしている。