1978年6月25日にデビューシングルの「勝手にシンドバッド」が発売されたということで、この日はサザンオールスターズの日ということになっているようだ。
TBSテレビ系でこの年の1月から「ザ・ベストテン」が放送開始されたのだが、この週の1位は沢田研二「ダーリン」であった。5位には矢沢永吉「時間よ止まれ」がランクインしているが、番組に出演することは一度もなかった。翌週にはサーカス「Mr.サマータイム」が8位に初登場しているが、この年の夏といえばこの2曲の印象がひじょうに強く、オリコン週間シングルランキングではいずれも1位に輝いていた。
サザンオールスターズが「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に出演したのが「勝手にシンドバッド」の発売から2ヶ月以上経ったこの年の8月31日、初めてランクインするのがさらにその翌月で9月21日のことであった。それから11月16日までランクインし続け、翌週には圏外に落ちるものの、さらにその翌週に復活して、それが最後の週となった。
このデビューシングルのロングヒットのせいもあってか、次のシングル「気分しだいで責めないで」がリリースされるのは11月25日となり、この年最後の「ザ・ベストテン」で10位に初登場している。当時、小学6年生だった私は翌年のお年玉でこのシングルを買った。
近田春夫が「POPEYE」で連載していた文章などをまとめた「定本気分は歌謡曲」などという本を読んでいると、デビュー当時のサザンオールスターズがいかにたくさんテレビに出ていたかということが書かれていたりもする。サザンオールスターズの音楽は当時のジャンル分けでいうとニューミュージックにあたったと思うのだが、このジャンルにおいてはテレビに出ないことがステイタスというような雰囲気もあり、北海道ではすでに人気があったがいよいよ全国区的にブレイクを果たした松山千春などは、「季節の中で」が1位になった11月16日の「ザ・ベストテン」に旭川市民文化会館からの中継で出演し、テレビカメラの前で歌うことは虚しい、というようメッセージを伝えていたような記憶がある。
サザンオールスターズが所属していたアミューズという事務所は、渡辺プロダクションでキャンディーズのマネージャーなどをしていた大里洋吉が原田真二を売り出すために設立したものらしい。当時の原田真二といえば、洋楽センス溢れる楽曲を作り歌うシンガー・ソングライターでありながら、世良公則、Charと共にニューミュージック御三家などとも呼ばれ、アイドル的な売り出し方もされていた印象がある。それに反発した原田真二は事務所から独立するのだが、その翌々週あたりにサザンオールスターズが入ってきたらしい。
当時、小学生だった私は流行歌とラジオが大好きだったのだが、リリース当初からサザンオールスターズをテレビでよく見かけていたかというと、特にそういう訳でもなく、「勝手にシンドバッド」を初めて聴いたのはラジオでだったと思うのである。
まず、バンド名がまったく意味が分からず、覚えにくいのと同時に、タイトルがふざけていてとても良かった。「勝手にシンドバッド」とはこの前の年に大ヒットした沢田研二「勝手にしやがれ」とピンク・レディー「渚のシンドバッド」を繋げたものだが、これは実際にドリフターズのテレビ番組で志村けんがネタにもしていて、実際にこの2曲をマッシュアップしたような音源が流されてもいた。当時のドリフターズといえば大人気だったので、このネタもかなり多くの人々に知られていたように思える。それをあえて使ってくる感じが、とてもふざけているな、と好感を持った。
そして、曲自体である。まず歌が早口すぎて何を歌っているのかよく分からない。ラジオから録音したカセットテープを少し再生しては一時停止して歌詞を聞き取り、書き留めるものの、それでもさらに意味がよく分からない。歌い出しからして「砂まじりの茅ヶ崎」だが、旭川の小学性には「茅ヶ崎」という地名がまずまったく分からない。「胸騒ぎの腰つき」については「胸騒ぎ残しつき」だと思っていて、「残しつき」などという日本語は知らないのだが、まだ小学生なのでおそらく自分が知らないだけで、実際にはそういう日本語があるのだろう、ぐらいに思っていた。
そして、いきなり「今 何時?」と3回連続で聞かれる訳だが、「そうね だいたいね」「ちょっと 待ってて」「まだ早い」と、最後まで確かなことは一切、答えていない。これには永六輔がラジオ番組でツッコんだりもしていたが、これがまさに新感覚なのではないかと思えた。そして、「ラーラーラーラララ ラーラーラー」というあの印象的なコーラスに宿る祝祭感覚のようなものは、それまでの日本のポップスには感じられない類いのそれでもあったような気がする。
夏休みが終わり、2学期になるとこの曲のことは学校の同級生達の間でも話題になっていたのだが、テレビに出演が目立つようになると、上半身裸だったりホットパンツをはいたりしながら、早口で何を歌っているのかよく分からない曲を歌っている様子がひじょうに好ましいものとして感じられるようになった。この頃はまだ親などと一緒にテレビを見る機会もあるのだが、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」を歌うと当然、私などは盛り上がるのだが、親などは早口で何を歌っているのかまったく分からない、こんなののどこが良いのだ、というような反応をする。もちろん大人は判ってくれない的な感覚が、さらに思い入れを強めたりもする訳だが、ついに私はこの曲のレコードを買うことになる。
当時のサザンオールスターズがコミックバンドのように見られていたというようなことがよく言われたりもするのだが、実際にそういった側面はあったように思える。私などからしてみると、何だかよく分からないのだがとても良いという感じだったのだが、大人になってしばらく経ってから思うのだが、ポップ・ミュージックやカルチャーを受容する上において、これ以上に価値のある感じ方が果たしてあるのだろうか、という気分になったりもする。つまり、あの年頃で「勝手にシンドバッド」にリアルタイムで出会えたのはとても良かったな、ということである。
なけなしのお小遣いでせっかくレコードを買った訳であり、勿体ないのでB面も聴くのだが、この「当って砕けろ」という曲は、まともな普通の曲だと感じた。それでもどことなく切なさのようなものが漂っていて、ここが何だかとても良いな、というような気もしていた。
ビートルズやセックス・ピストルズなどの登場が世界に衝撃をあたえていた頃、私はまだ生まれていなかったり、北海道の小学生だったりで、それをリアルタイムで受容することができず、それについて残念だとも感じていた。「勝手にシンドバッド」はもしかするとこれらにわりと近いものだったのかもしれないし、まったく違っていたのかもしれない。
おそらく長くは続かないのだろうが、この瞬間の強度というものはかなりすさまじく、これこそがポップスの快感である、というようなことを、こういった言葉ではなかったにせよ、当時の私は感じていたのではないかと思う。
そのリアリティーは確かなものだったが、間違えていたのはこのバンドがこれ以降も何十年と続き、日本を代表する国民的バンドとして君臨するようになるということが、まったく見通せていなかったということである。