(空也上人立像(京都・六波羅蜜寺蔵)上人が南無阿弥陀仏を唱えるとそれが仏と化したという)
この日昼メシを食っていると電話が鳴った。
「丘の公園清里ゴルフコースです」
「ギョギョ。ひょっとして・・・」
「ピンポーン(←こうは言ってない)。月曜日は積雪でクローズになりました」
「・・・」
「雪もこれで終わりでしょう。またのお越しをお待ちしてます」
月曜日がダメ、金曜日もダメ、そしてこれで3回目のクローズである。
よして、よしてよ~ なぐさめなんて~
私の口からはクールファイブの「噂の女」があふれ出した。自分では意識していないが、こういったシチュエーションでは「噂の女」らしいのだ。
(1970内山田洋とクールファイブ)
喜怒哀楽の感情の動きに合わせて口をつく言葉には「ギョギョ」、「アチャー(古いな)」、「やば」など「感嘆詞」と呼ばれる短いものと、今回のような長いフレーズのものがある。
草莽の脳生理学者ゆるふわ博士によると、感嘆詞はいわば反射的に口をついて出るだけのもので脳生理学的には大した意味はないとのこと。つまり老化とともに勝手に出てくるオナラのようなものだというのだ。
博士はこれを口からでるオナラ、すなわち「口屁」と命名したと自慢気に吹聴しているが、これは黙殺してよいだろう。
(それは違います)
一方のやや長いセリフ「感嘆句」(博士はこれを屁よりも中身がつまっているものとして「口●」と命名したそうだが、よいこはマネしてはいけません)だが、これにはいくつかの特徴があるという。
・会話の中ではなく、独り言として用いられることが多い
・いわゆる鼻歌とは異なり、好ましくない状況の時に現れる
・昔聴いた歌のフレーズが使われることが多い
・パターン化していて同じ状況の時には同一の感嘆句が出てくる
独り言というのは認知症、うつ病などとの関係で従来はあまりよろしくない現象とされてきたが、近時の研究では脳の活性を促進するものであることが明らかになっている。
特にストレスにさらされているような状況では、「大丈夫だよ」、「なんとかなるって」と自分を励ます独り言はストレスを大きく軽減するとされている。
博士によると感嘆句にはこういったストレス軽減の効果だけでなく、一種の現実逃避願望が認められるという。
古い歌を口から出すことで無意識に「古き良き時代」に回帰しようとしているらしい。
もっとも古い歌が出てくるのは経年劣化した海馬のせいで昔のことの方をより鮮明に覚えているせいでもあるという。パターン化していくのも同様の現象だ。
そんな感嘆句、私がしばしばお世話になるものをまとめてみた(古い順)。
なおサンプル数が少ないので、我が敬愛する「薪割りおばさん」hgaliceさんの感嘆句💛もご本人の承諾なしに加えています。ど~もスミマセン。
💛困っちゃうな~ (1966「こまっちゃうナ」山本リンダ)
どういう時に口をつくのか、説明は要るまい。
(リンダさん当時15歳)
イテ~よ、イテテイテテイテテイテテ~よ(1971「バナナボート」ゴールデンハーフ)
大相撲春場所初日、連覇を狙う横綱照ノ富士が敗れた。
こういう時に出るのがこれ。
野茂英雄さんの応援歌としても有名な「バナナボート」だが、我々の親世代では濱村美智子さん(1957)である。
💛もう、イヤ~(1973「絹の靴下」夏木マリ)
この辺りはいかにも女性の感嘆句という感じで、オトコが使うのは少々勇気が要る。
(ウーバーのおばあちゃんはこんな美女だった)
💛私バカよね、おバカさんよね(1975「心残り」細川きよし)
「女性が使う感嘆句は女性歌手の歌から」とは限らないという好例。もっとも歌詞の一人称は女性だからちっとも不思議じゃないか。
(この人が)
(何故こうなった)
ダメなダメな、ホントにダメな~(1976「よせばいいのに」敏いとうとH&B)
実際にはここで止まることはなくて「いつまでたってもダメな私ね~」まで一気呵成。
ちょっと待って(1978「プレイバックPart2」山口百恵)
これもプレイバッ、プレイバッって続きますわな。
もう、終わりだね(1979「さよなら」オフコース)
「さよなら、さよなら」まで行きたいとこだけど、そうなると感嘆句というよりひとりカラオケになってしまうので注意が必要だ。
だってしょうがないじゃない(1988「だってしょうがないじゃない」和田アキ子)
開き直りの匂いがする点が他の感嘆句と一線を画す。
唯一1980年代からのノミネート。それにしても古いな~。
(あっこさん当時38歳なんとも可愛らしい)
海馬の劣化がおよそ40年前から始まったことが如実に分かる結果だが、どんなもんでしょう。面白い感嘆句があれば是非おせえてください。