大雨で道路がグチャグチャ「法定外道路」はつらいよ | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 今年の異常気象(もはや「異常」とはいえないかもしれない)は、イギリスでは未曽有の干ばつ、パキスタンでは国土の3分の1が水浸しになる豪雨をもたらす等全地球的に猛威をふるっているが、八ヶ岳南麓もその例外ではない。

 8月24日に発生したゲリラ豪雨は小海線以北のごく一部の地域に集中したようで、八ヶ岳高原ラインは土砂災害の影響で天女山交差点から小荒間交差点に至る約9キロの区間がいまだに全面通行止めとなっている(9月4日現在)。

 

(山梨県道路情報地図より 「仙人小屋」は完全に孤立状態に)

 

 この災害に巻き込まれたのが人外魔境で暮らしている囲碁トモのAさんである。

 窮状を伝えるAさんのLINEによると、人外魔境と文明の地とを細々とつないでいた杣道は寸断され、家の周囲には土砂が溢れてクルマが動かせない状態となり、なんとAさんは一週間も閉じ込められてしまったという。

 

 

(AさんのLINEから 道路に川ができちゃった)

 

 避難するにもAさんのお宅から近いのはこれも安否が気遣われる仙人小屋くらい。

「とても歩ける距離じゃないでしょうし」

「歩けるよ。若いころ歩いて行ったことあるから」

「・・・。一時間じゃいけないでしょ」

「この裏(クマザサが続く原生林)を直登するともっと早いよ」

 そういう問題ではない。

 

(新しい川と元々の川(左)は家のすぐ近くで合流 家に被害がなかったのは幸い)

 

 不幸中の幸いというか、運転が下手クソなAさんは冬ごもり前のリスよろしく常日頃から食料を買いだめするようにしていたため、命には別条なかった。

 

 嵐が去った翌日、Aさんが泥だらけの庭を前に呆然としていると役所の人がわざわざ訪ねてきたそうだ。それからほどなく道路の補修作業が始まったという。

「4年前の災害の時は電話してもけんもほろろだったのに」、役所もずいぶん変わったものだとAさんは大層感心していた。  

 

 ふ~む。

 北杜市も新市長になってこの辺の対応が変わったのかもしれない。

 我が家の前の未舗装道路も雨水が流れるせいで次第に溝が深くなっている。舗装をしろとまでは言わないがせめて砂利を入れてほしい。

 北杜市HPにも「市道の損傷を見つけたら一報ください」とあるし、さっそく北杜市役所建設部道路河川課に連絡した。

 

(Aさんの被害と比べるとささやかなもの)

 

 場所を確認して折り返し連絡します、とのことで、15分ほどしてから電話がかかってきた。

「ゆるふわさんの前の道路は『法定外道路』ですね」 

「法定外。つまり・・・」

「市の道路ですが『市道ではない』ということです。この場合市では補修などの対応はしません」

「ううう(半泣き)」

「ゆるふわとやら、そうは申してもおカミも鬼ではないぞ(←実際はこんなこと言ってない)」

「へへ~」

「当該道路を利用している住民3名連名による要請があれば砂利を用意させてもらいます」

「・・・(BさんとCさんにお願いしてみるかなあ、いやDさんの方がいいかな)」

「(友達が少ないタイプなのね)お一人で、ということであれば土嚢を提供します」

 

 ふ~む。

 調べてみるとどうやらこういうことらしい。

 例えばかつてはあぜ道だったような「公共の利用はあるもののクルマの往来は無理」、という規模の道は「赤道」と呼ばれ(公図に赤い線で記載されていることからそのように呼ばれている)、我が家の前の道もクルマは通れるもののこの赤道らしい。

 

 公有地ではあるものの「道路」として認知されないこの道は、「法定外道路」とか「法定外公共物」と呼ばれ、正式な道路ではないことから各自治体とも舗装も補修も行なわないというなんとも情けない道なのである。

 今でも全国15万キロに及ぶというこの赤道、2000年までは国が保有していたが、「地方分権一括法」により同年に地方自治体に委譲されたが日陰者であることは今日に至るまで変わっていない。

 

 この赤道が晴れて市道となるにはどうしたらいいか。

「北杜市市道認定基準等に関する要綱(平成21年11月25日)」第2条によると、市道は幅員が4m以上の道路であることが要件とされているから、関係者全員の合意で道幅を広げない限り我が家の前の赤道が市道になることは永遠に不可能である。

 ちなみに幅4mもない道路が舗装されている(=市道と認められている)例もまま見受けられるが、これは1950年に建築基準法が施行された際、幅員が1.8mあれば将来的にセットバック(関係者の合意による拡幅工事)で4mに拡幅することを条件に例外的に市道と認めた経緯によるものである(この道は「40条道路」と呼ばれている。今回終の棲家を建てた杉並の家でも新築の際に土地の一部をセットバックで提供させられたがこれも40条道路だったわけだ)。

 

 では赤道としか思えない人外魔境のやせ道が即時に補修されたのはどういうことなのだろう。

 まず、当該道路が1950年の時点で既に存在していて「40条2項道路」として市道のステイタスを持っていることが考えられる。

 もうひとつ、土砂崩れがあった場所が国有林(または県有林)で、Aさん宅までつながる道は赤道でなく彼らが保有する林道であることが考えられる。

 それならば被害の全貌を掴むため営林署の職員が翌日Aさん宅を訪ねたのも不思議ではないし、彼らが直ちに補修を開始したのも辻褄が合う。おそらく真相は後者であろう。

 

 結局Aさん宅につながる道路は元通りに直ったものの、庭はグチャグチャのまま。やむなく業者を呼んで補修を依頼したそうだが、その費用はン十万円かかったそうだ。

 

 かわいそうなAさん。

 お見舞い代わりに清里の鰻屋「Blowin'in the wind」に招待してさしあげた。

 

(以前誕生祝いということで「うなぎ馳走八嶋」でご馳走して頂いたお返しも兼ねている)

 

 絶品鰻を堪能し、Aさんの傷心も少しは癒されたようだ。

 一方我が家の前の道路の溝は今日も明日もその先もずっとこのまま。

「法定外道路はつらいよ」、そんな思いを噛みしめながら鰻を平らげた。